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「人間とはなにか」という問いから社会を見つめ直す

リバネス髙橋修一郎代表取締役社長COO/サイキテック研究所・江川伊織所長)


Future Society 22

金融資本主義から共感資本主義へ。価値観が大きく変わろうとしている今、社会を構築する様々な制度の見直しが必要になっている。そのとき、重要になってきたのが「人間とは何か」との問い掛けである。従来のような哲学的な見地だけではなく、科学的なアプローチで「人間論」を再構築する動きが出てきた。研究者のコミュニティーを作ることで、イノベーションを起こそうとしているリバネス社の髙橋修一郎代表取締役社長COOとリバネス傘下のサイキテック研究所・江川伊織所長に、最先端の研究から見えてきた「人間」像について聞いた。

――コンピューターの発達であらゆるコストがゼロになり、従来の金融資本主義は大きく変わろうとしています。今後、人はモノではなく、より一層「心の豊かさ」を求めるようになると言われています。これまで人間はモノやサービスの所有権を主張してきました。また、人間は合理的な判断ができる代わりにその判断に対して義務も負ってきました。これが現在の社会制度を支える「前提」だったのですが、モノやサービスの価値が低下した今、前提が大きく変わっていく、と見ています。
 

また、そもそもの「人間は合理的経済人である」という捉え方についても揺らいでいます。アメリカの行動経済学者であるダニエル・カーネマン氏によると、人間の判断のうち95%は感情によるもので、その結果を見て合理的だったように後付けで説明をしていると言います。今後、社会の仕組みを再構築していく上で、前提となる「人間」を考えることは必要不可欠です。そこで今回は、研究者が集まるリバネスのお二方に、この問いをぶつけてみたいと思います。まずはリバネスという会社について紹介してもらえますか。

代表取締役社長COOの髙橋修一郎氏(以下、髙橋)リバネスは大学の研究者が集まって2002年に設立した社員数70名ほどの会社です。我々研究者は科学技術に対する知的な好奇心が旺盛なところが特徴です。そこで得た知識は、世の中のためにもっと活かせるはずですし、未来を創ることに役立てられるはずだと考えています。リバネスでは「科学技術の発展と地球貢献を実現する」ことを理念とし、知識同士を組み合わせて、課題解決につながる新しい事業を生み出す仕事「知識製造業」を営んでいます。

リバネスの事業の柱は4つあります。1つ目が、次世代を育成し、先端の科学技術と研究者の想いや考え方を伝えていく教育事業です。研究者や技術者と教育現場の連携を生みだし、次世代を担う子どもたちが最先端科学に触れる機会の創出や、研究活動の応援を行なっています。

2つ目が、研究経験をもつ人材の新たなキャリアを形成し、これからの仕事や研究を創造する人材を育成する事業です。自らの好奇心や情熱のもとに世界初を生み出す研究的思考こそが、社会に新たな価値を創造することにつながるはずですが、博士課程を修了して専門性はあっても、その価値、専門性を社会で発揮できていない人が国内だけで1万人もいます。そういったドクターの活躍の場を広げていこうとしています。

産業界の課題を解決できるような熱量やアイデアを持っている人はいっぱいいますが、彼らがどんな研究をやっているのかは表に出てきません。そういうドクターたちと、産業界の課題とを結びつけて新しい研究を生み出していく、研究応援プロジェクトが3つ目の取り組みです。

さらに、世界の課題を解決する研究成果やアイデアの事業化を促進し、研究開発型・ものづくり型ベンチャーを育成する創業応援プロジェクトが4つ目となります。
 

新しいテクノロジーがあっても社会で貢献できない「壁」

――現在、リバネス傘下の「サイキテック研究所」では心理学や社会学などをもとに、特に感情・思考といった心に注目して「人間とは何か」を解き明かそうとしていますね。お二人が「人間とはなにか」という問いに興味を持ち始めたきっかけは何だったのでしょうか。

高橋:研究者たちと話していると、「人を幸せにしそうな」テクノロジーなのに、社会実装する段階で躓くことが少なくない。「社会実装するためのデータが揃わない」とか「ビジネスとして世間に受けられない」など理由はいろいろあるのですが、突き詰めると、「人間のことが分かってない」ことが原因であることが多いと思っていました。例えば、「人の行動を把握して、人の行動を変えたい」と考えた時に、現代であれば、常に持ち歩いているスマートフォンをはじめ身体に身に付けるウエラブル端末があるので、行動履歴やバイタルデータはとれます。しかし、そのデータがあっても、人間とは何かを理解する土台がないと、データを考察できないし、技術的な解決策の効果も発揮できません。

 

そうした壁にぶつかって「人間ってなんだろう」と考えていた時に、現在サイキテック研究所の所長をしている江川伊織に出会いました。江川は大学でずっと心理学を研究してきました。私の専門は生物学なので、同じ事象に対しても、彼の考え方とは全く違います。彼とならば、僕が感じてきたテクノロジーと実社会の差を埋めるための「人間とはなにか」という普遍的な問いの解にも近づいていけるのではと感じました。

いま、ヒューマノーム研究所という子会社ではAI研究者たちが遺伝子データや生理学的データを集め、その解析を通して、人間とは何か、健康とは何か――という大きなテーマにアプローチしています。データからの分析と、江川のような「心理学的分析」を掛け合わせていくことで別の人間像が見えてくると期待しています。

サイキテック研究所の江川伊織所長(以下、江川):技術開発を強みにしている人と触れ合う中で、私のような「心の研究者」も、何かできるのではないかと考えるようになり、サイキテック研究所を立ち上げました。「心の研究」の成果を世の中に出していこうとすると、モノがないことがディスアドバンテージになります。一方で、テクノロジーを持っている研究者にも先ほど高橋が言ったように、得られたデータを人に適用する際の解釈に課題があります。先端技術と心理学的知見を組み合わせることができれば最強のチームになると思います。

――リバネスのこれまでの取り組みの中で「新しい人間像」はなにか見えてきましたか。

江川:リバネスではこれまで5名のゲスト講師を招いて認知科学のセミナーを開催してきました。その中で人間の心や認知について新たな知見が共有されています。例えば、これまで不可能だと考えられてきた、人間が無意識に下した判断を把握し、コントロールする方法が分かり始めており、それをサポートするデバイスもでき始めています。これは今後、人の行動を考えていくポイントになっていくと思っています。
 

感情は能動的にコントロールできる??

高橋:そのうちの1つとして、セミナーでは東京大学大学院 特任研究員・株式会社ミミクリデザイン マネージャーの小田裕和氏が「意味のイノベーション」について紹介しました。これは、たとえ同じ仕様のものであっても、そこに生じる意味は変化しうるという研究です。ろうそくを例にとってみると、ガス灯がなかった時代は「明るさを灯す」という意味がありました。電気が普及した今では逆に蝋燭は暗さの演出という意味を持ち、リラックスや癒やしの効果が期待されています。

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この研究はマーケティングや商品・サービス開発にもつながってきます。一見、商材・サービスは変わっていなくても、社会環境が変化する中で、意味付けが変わることで別の使われ方をするというようなことが起きるということです。例えば、ビフォーコロナでは、車は移動手段にすぎませんでしたが、ウィズ/アフターコロナでは自分を守る閉鎖空間を提供する手段に変貌しています。 

――お茶の水女子大学の今泉修氏の身体に関する研究では、これまでは外界のできごとに応じて受動的に生じ、コントロールが難しいと考えられていた感情反応も、身体を動かすという能動的なアクションで変えることができる、という発表をしていますね。

高橋:ええ。人の感情や価値観、物事の捉え方は外からの影響によって受動的に変わる、というのが最近定説化してきていました。この議論は更にもう一歩踏み込んで、本人の動きによって自分の感情を変えることが出来るということです。例えば、腕をあげればものごとの捉え方が肯定的になる、などの効果が分かってきました。つまり、身体の動きを変更していくことで感情や心のあり方を自分で変えていけるのです。

――どうやって変えていくのでしょうか。

高橋:自分の動きが外の環境と連動している感覚って、実は心のあり方を変えるほど強烈なんですね。例えばパソコンを操作するマウスを使う時。画面上で思ったようにカーソルが動かないととても気持ち悪いですよ。自分の動きが画面にトレースされるのは気持ちいい。だからこそ、エンジニアは人の行動とデバイスを連動することを重視して反応するスピードや洗練されたUIなどを追求していたのですが、逆に、わざとデバイスの反応を遅らせたり、過剰に反応させたりすることで、人間の自主的な行動を促す設計というのも増やせる、とも言えます。

自分でも意識していない「ホンネ」があるという研究を発表したのは、犯罪心理学の研究者である青山学院大学の松田いづみ氏です。これはその人が意識していなくても発汗や心拍数などの生理反応として本音が出てくるというものです。

例えば、知っていることを隠そうとした場合には、問いを受けてから0.2秒後には、知っていることで脳が反応するが、隠そうとすると問いを受けてから0.5秒後に、脳が隠そうという反応を起こす。同時に、心拍、呼吸、発汗など、様々な反応を起こすことが分かっています。この背景には、既にみたダニエル・カーネマンの二重過程理論(システムI<直感>、システムII<理性>)が理論的裏付けにあるものです。 

――AI(人工知能)の進化によって、人工知能ではできること、できないことが見えてきましたが、AIが進化したからこそ、見えてきた「人間像」というのはありますか。

江川:自然言語処理を研究している茨城大学の古宮嘉那子氏のセッションでは、言葉に関わる新しいテクノロジーに影響される形でコミュニケーションの形ももしかしたら変わっていくかもしれない、と感じました。コンピュータが言語を扱う自然言語処理では、私たちが使っている単語を、漢字の部首のようなより細かい単位まで分解して扱うことも行われています。単語よりも細かい単位で言葉を扱うという発想自体が、日常的にはあまりないと思いますが、ひとつの考え方として広まれば、今までになかった漢字や言葉の組み合わせさえもが生まれてくるのではないかと想像が広がりました。

これらを通じて、言えるのは、人間について、我々は分かっているようで全然分かっていないという事実です。東京大学大学院の鈴木貴之氏の「人間観の新常識」に関する研究では、人間が決定を下す際に、合理性だけでなく感情や無意識的な反応などが強く関わっていることが分かりました。これまで、人間は筋道立てて考えることができると思っていたのです。法律策定のベースとして、「自由意志を持つ人間」が前提条件になっていましたが、これまでの制度自体が揺らいでくる可能性があると思っています。
 

人間に自由意識があるのだろうか

――フランス革命以降、人間には自由意志があることを前提に基本的人権を認め、その上に国民国家が成り立ってきました。仮に人間の決断の大部分が本能や感情に左右されているとすると、自由意志の存在自体も怪しくなりませんか。

江川:その可能性は高いです。歴史上のこれまでの条文は文字通り言葉で記述されていますが、裏を返せば言葉にしきれなかった部分、つまり合理的に表現できなかった部分は必然的に抜け落ちてきたといえます。条文を作る時に言語化できないからという理由で抜け落ちてきたものは何なのか。そうした視点でもう一度現在の法律や制度を捉え直していくことも意義深いでしょう。

論文についても同じです。そこに書かれているのは研究者の思想のほんの一部分にすぎません。そこに埋もれた背景や研究者の人柄などは多分にアウトプットには影響しているので、それを見ていくことで世の中の捉え方も変わってくるのではないかと思います。

髙橋:これまでは社会の前提として生物学的な一個の個体、つまり一人の人間を対象に権利などを分割して考えてきました。しかし、同じ生物学では「種を守るための群れ」として人を捉えることもできます。種としての本能、感情で動く群れ全体の「権利」はあるけど、個体にはあるのかという議論もあり得る。

――人間も微生物も地球という一つの生命体の一部として捉える「ガイア仮説」という考え方につながりますね。

髙橋:そういった、言葉では捉えられない生物体の視点が、社会を変える時には必要です。人間に関するデータは統合的にみないと分からない。

 

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今求められる方向性は「品」や「美」かもしれない

――西洋の哲学・科学で、個別事象の効率化とデジタル化が進みましたが、テクノロジーと社会のギャップは大きくなっています。あらゆるものが関係し統合していく「環世界」として社会を捉える必要があると我々も考えています。

髙橋:何を目指すのか――答えを求めるにしても、方向性が必要になります。統合した先にどこに向かうか、という問いは難しいですね。テクノロジーを突き詰めてもどこにも辿りつきません。科学が発達する前、学問が細分化されていなかった時代には当たり前に共有されていたのかもしれませんが、今求められる方向性は、「品」とか「美」とかに近いものかもしれないと思います。

――リバネスを通じてどのようなことを実現していきたいと考えていますか。

髙橋:僕自身は心理学と出会って思考が深まり、感覚が広がりました。こうした原体験をもっと広げていきたいと考えています。この技術を足し合わせたらおもしろい、ということに気づく仲間を増やしていきたいですね。

江川:思考停止を起こさないことが大事だと思います。人間には見えていない側面があるということがわかってくると、一つの物差しだけに囚われずに意思決定をすることができます。人間について考えることをやめない、ということを提案していきたいです。

ーー研究者であれーー

これからの人間には、研究者としてのマインドがこれまで以上に求められるようになると思います。研究者としてのマインドをもつ人間は、必ずしも研究職についている人や、博士号をもつ人を意味するものではありません。自ら問いを立て、好奇心や情熱といったその人なりのベクトルをもって仮説検証を重ね、知識を生み出す人です。ここまでのお話に出てきた先端研究の知見のように、人間がわかること、できることが増えてくると同時に、新たな問いや論点も提案されてきています。未解明の事実や未解決の課題を、ベストを尽くしてクリアし、変化を生み続けようとするマインドこそが「人間らしさ」と言えるのではないでしょうか。

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