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元日経ビジネスニューヨーク支局長篠原匡氏が米国大統領選挙前に語る~トランプ政権下で露になった「分断された米国」の行方

Future Society 22

2020年11月米国の大統領選挙の前に、「米国トランプ政権下での社会構造変化」について考える。今回の対談の相手はフリージャーナリストの篠原匡氏。米国で取材をしてきた彼に、トランプ政権下で米国の「深部」で起きた変化について伺った。世界の覇権国家である米国がその地位を降りたとき何が起きるのかーー。話は、21世紀に訪れる「ゆるやかな帝国」時代の社会にまで及んだ。(Future Society 22)

──篠原匡さんは2019年3月まで日経ビジネスのニューヨーク支局長を勤められていた。その時の取材経験をもとに『アメリカ人vsグローバル資本主義』という新刊を2月に出版していますね。この本は、日本人が知らないアメリカ人の姿がこれでもかと言うくらいに描かれていて、とても面白かった。2016年11月の大統領選でトランプ氏が勝利したときは本当に驚きました。米国の友人はみんなヒラリーだと話していましたから。ただ、よくよく考えれば、米国も多様で、東海岸や西海岸のような米国もあれば、「ラストベルト(錆び付いた工業地帯)」と言われるような中西部の工業地帯も米国もある。僕が見てこなかった、“もう一つの米国”があると気づかされました。

篠原: この本は、4年3カ月にわたる米国駐在の最後の2年で取材した内容をまとめたものです。取材の際の問題意識は柴沼さんと同じで、前回の大統領選で明らかになった東海岸や西海岸とは異なる米国を見てみたい、と思ったところにあります。僕も、結局はヒラリー・クリントン氏が勝つと思っていましたから。どのようにして知らない米国を「覗き」に行くかを考えた末、貧困や薬物汚染など、さまざまな社会問題に直面する人々の話を聞き、ミクロの物語を通して米国の今の姿を描く連載企画を作ることにしました。それを続ければ、トランプ大統領が誕生した背景や米国の変化が見えるだろうと。

今年は11月に再び大統領選があります。その前に、改めて米国の深部で起きている変化や社会の変容を理解することが大切だと思っています。書籍で書かれているような具体的なファクトを見ることが、大きな構造変化を捉えることにつながると感じています。

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篠原匡(しのはらただし)

編集者、ジャーナリスト、ドキュメンタリー制作者 

1975年生まれ。1999年慶応大学商学部卒業、日経BPに入社。日経ビジネス記者や日経ビジネスオンライン記者、日経ビジネスニューヨーク支局長、日経ビジネス副編集長を経て、2020年4月に独立。著書に、『グローバル資本主義vsアメリカ人』(日経BP、2020年)、『腹八分の資本主義』(新潮新書、2009年)、『おまんのモノサシ持ちや』(日本経済新聞出版社、2010年)、『神山プロジェクト』(日経BP、2014年)など。現在、蛙企画にて最新のルポルタージュとドキュメンタリーを作成。「Voice of Souls」で掲載。

ミクロの物語を通じて、「知らない米国」を覗く

─当時、取材はどこから始めたのですか?

篠原:米国東部のウエストバージニア州です。この州はオピオイド系鎮痛剤の中毒が蔓延しており、トランプ氏が2016年の大統領選で大勝した地域の一つでした。オピオイド汚染の現状を見つつ、トランプ支持を生み出した土壌や背景が分かるのでは、と思ってウエストバージニアに飛んだんです。

取材という面では極めてエキサイティングで面白い経験でしたが、正直、かなりショックを受けました。私たちの取材チームはウエストバージニア北部の小さな村にある小学校に行きました。親がオピオイド中毒で育児不能になったり、刑務所に収監されたりして、里親や祖父母などに育てられている子どもがいると聞いたからです。実際、校長と話すと、全校生徒135人のうち、およそ3分の1が実の親と暮らしていない状況でした。

─それは想像を絶していますね。

篠原:里親や祖父母と暮らしている子どもはまだよくて、ネグレクト状態の子どももかなりいました。そういう家庭環境の子どもは、週末や夏休みに十分な食事を与えられない可能性があるので、学校が簡単な食料を持たせる、という対応まで取っていました。いわゆる「スナックパックプログラム」というものです。その後、貧困エリアの小学校はどこも同じような対応を取っているということが明らかになるのですが、学校が貧困家庭のセーフティネットになっているという事実はウエストバージニアに行くまで知りませんでした。とても印象に残っています。

このほかにも、父親がいない子どもに大人との触れあいを学んでもらうため、近隣の工場の従業員がボランティアで遊び相手を務めていたのも印象的でした。大半の住民が白人で、裕福とは言えない地域でしたが、オピオイド汚染に翻弄される子どもたちを地域全体でサポートしようとしていた姿が記憶に残っています。

─なぜウエストバージニアでオピオイド汚染が広がったのでしょうか。

篠原:根本的な原因は医師による安易な処方ですが、そこに至った理由の一つは失業と貧困だと思います。先の小学校のある地域には、大きなアルミニウム工場がありました。「親子3代、その工場で働いていた」と語る住民がいるように、地元経済と雇用の中核的な存在でしたが、2000年代を通して徐々にリストラを進め、2009年には操業を止めてしまいました。

失業そのものがオピオイドに走る直接的な理由ではないかもしれませんが、オピオイド系鎮痛剤は覚醒剤などと違って「ダウン系」の薬物で、実際に基中毒患者に話を聞くと、「服用すると不安や嫌な気持ちが消える」と言います。将来に対する不安に直面する中、薬で不安を紛らわせるうちに中毒状態になったということではないでしょうか。オピオイド系鎮痛剤は常習性が高いと指摘されていますので。 

ラストベルトで見た「自由貿易の行方」

─ウエストバージニアは炭鉱業が盛んな州としても知られていますね。

篠原:ええ。炭鉱業が盛んなのは州の南部で、実はこちらの方がオピオイド汚染は深刻でした。南部での汚染も失業が主な理由だと思いますが、こちらはオバマ政権の環境政策が影響を与えています。オバマ政権は地球温暖化を抑制するため、CO2排出源だった石炭火力発電の規制を強化しました。結果的に発電所の閉鎖が相次ぎ、石炭の需要も落ち込んだ。ウエストバージニアの話を中心にしましたが、中西部のラストベルトはだいたいどこも同じような状況です。

例えば、ペンシルベニア州の西部にピッツバーグという都市があります。「鉄鋼王」と呼ばれたアンドリュー・カーネギーで有名な製鉄の町です。ミネソタ州のメサビ鉄山の鉄鉱石とウエストバージニア州の石炭を原料に、米国の工業化を支えたというのは世界史の教科書にある通りです。2016年11月の大統領選の前、ラストベルトの状況を知りたくて、ピッツバーグの周辺の町を取材して回ったことがあります。ピッツバーグ自体はヘルスケアや教育など知識集約型産業に転換したことで復活しましたが、製鉄所が閉じた周辺の町はゴーストタウンのような状況でした。実際、町の人に話を聞いても、みんなトランプ支持。当たり前ですよね。グローバル競争に敗北し、コミュニティもろとも崩壊していく中で米国に雇用を取り戻すという候補者が現れたわけだから。

─乾いた言い方をしてしまえば、自由貿易の帰結ですよね。自由貿易を徹底すれば、資本家は最適な場所で生産し、最適なところで販売します。関税や資本規制などでモノやカネの移動に制約があった時代はいざ知らず、自由貿易でそういった障壁が解消されれば、資本家はより一層、最適化と効率化を目指すものです。

ただ、自由貿易を進める一方で、セットであるはずの労働調整や産業調整が進まなかった。本来であれば、競争力を失った産業に関わる人々を別の産業に移していく必要があったわけが、モノやカネと違って人間はそう簡単に自分の地元からは離れられない。それでもずっと踏ん張ってきたけど、ついに耐えきれなくなったところで、「アメリカファースト」を唱えるトランプが出てきた、と。

篠原:私もそういうふうに理解しています。1994年に北米自由貿易協定(NAFTA)に加盟して以来、米国はグローバル化を推し進めました。とりわけ2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟してからは、中国の急成長を取り込むことで米経済も繁栄を遂げました。ただ、確かにマクロでは自由貿易の恩恵を享受しましたが、その恩恵はまだら模様だったということだと思います。

NAFTA一つを取ってみても、メキシコに工場を移せる会社や農業関係者はメリットを享受したと思うんですよ。メキシコの圧倒的に安い人件費で製造し、関税フリーで米国に輸出できるわけですから。農業関係者にしても、トウモロコシや豚肉など農畜産物の輸出先を手に入れることができましたし。反面、メキシコの貧農は壊滅的な打撃を受けました。メキシコからの合法移民や不法移民が増加した一因です。

デトロイトで金属加工業を営む中小企業の経営者に話を聞きましたが、GMやフォードがメキシコに生産拠点をシフトしたのに対して、彼の会社はメキシコについていくだけの資本力も規模もありませんでした。結果的に、GMやフォードとの取引の多くを失い、軍関係の仕事が中心になったという話でした。こういう話はあちこちにあるんだと思います。 

武装自衛団と一緒に行動して分かったこと

─冷戦終結後の米国の成長をドライブさせた要素として、グローバリゼーションの深耕やシリコンバレーを中心にしたイノベーションが挙げられます。トランプ政権は移民に対して厳しい姿勢を取っていますが、移民という点で何が起きているのでしょうか。

篠原:世界中から留学してくる高度人材はもとより、不法移民のような低スキル人材も、労働力と消費者の両面で米国の成長のエンジンだったと思います。ニューヨーク・マンハッタンのレストランの厨房を覗けば、1人や二人は不法移民がいるでしょう。もっとも、低スキル労働に従事しているアメリカ人にすれば、湧くように増える不法移民は自身の賃金を押し下げる迷惑な存在です。米国の平均賃金はインフレを加味するとほとんど増えていませんが、それも低賃金の不法移民がどんどん入ってきたからでしょう。実質的に、生産拠点の国外移転と同様の影響があったということです。

書籍にも書きましたが、アリゾナ州の国境付近で不法移民やドラッグの密輸を取り締まっている自警団の活動に同行したことがあります。武装した自警団とジープに乗って、アリゾナ国境付近の荒野を走り回り、不法移民やドラッグの運び屋の痕跡を探すんです。自警団を作ったのはティム・フォーリーという元軍人。不法移民やドラッグの密輸入を取り締まるために武装自警団を作るなんてはっきり言って常軌を逸していますが、その背景には不法移民によって彼自身の生活水準が上がらなかったという怒りもあります。

彼は軍を除隊した後、建設現場などで働いてきましたが、賃金は伸びず金融危機で自宅も失った。自分はひどい状況なのに、不法移民は不法滞在が見つかって本国に送還されても、すぐに別のID(身分証)を作って入ってくる。その状況を変えようと、自警団を作って取り締まる、という極端な行動を取るようになったわけです。正直やり過ぎだとも思いますが、気持ちとしてはよく分かる。 

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結局「アメリカファースト」は何を変えたのか

─篠原さんが米国で見聞きした状況は大統領選後の4年間で変わっているのでしょうか。つまりトランプ大統領とアメリカファーストという思想を生み出した構造は改善したのか、それともひどくなっているのか。あるいは、米国の分断は加速するのか否か。

篠原:米国を離れて1年以上たっているので足元の状況はわかりませんが、「アメリカファースト」は定着したと考えています。この間、民主党の大統領候補に指名されたバイデン氏の経済政策が公表されました。既に識者が指摘していますが、バイアメリカン、すなわち4000億ドルを使った米国製品や米国産資材の購入が一つの柱になっています。民主党候補らしく脱炭素社会の実現のために、4年間で2兆ドルの投資もうたっていますが、トランプ政権のアメリカファーストを踏襲しているような内容だと感じました。 

また、米中対立が加速していますが、中国に対する厳しい見方は超党派で共有されています。香港の自治を侵害する中国や香港当局者に制裁を科す香港自治法案や、米国に上場する企業が外国政府の支配下にないことを証明する外国企業説明責任法などの法案は、共和・民主の両党で支持されています。トランプ大統領と鋭く対立する民主党のペロシ下院議長も、ウイグルの人権問題に長年取り組んでいる。政治の分断が進む中、対中政策という面では一枚岩と言っていい状況です。つまり、誰が大統領になっても大きな流れは変わらない。

─僕はこのまま社会の分断が加速すると、米国に何か非連続な変化が起きるのではないかと危惧しています。例えば、ミネアポリスで黒人男性のジョージ・フロイド氏が警察に押さえられて死亡した事件がありましたよね。その後、警察の予算や警察権を剝奪しようという声があがりましたが、そんなのは国としてあり得ない話ですよね。こういう話を聞いていると、何か米国の深部で前提としている民主主義や国家としての枠組みが壊れつつあるのではないかと感じざるを得ない。

篠原:政治という面で見れば、米国の三権分立はしっかり機能していると思います。トランプ大統領が大統領令を乱発しても議会は冷静に対応しているように見えますし、最高裁における保守とリベラルのバランスはひっくり返りましたが、ルイジアナ州が定めた女性の妊娠中絶を規制する法案を違憲とするなど、トランプ大統領の思い通りになっているわけでもない。政治が劣化しているというのは米国でも言われていますが、それでも民主主義の防塁として機能しているのは間違いない。

ご指摘の通り、このまま分断が進めば合意形成や妥協が成り立たなくなる、という恐れはあります。情報収集におけるSNSの役割が高まったことで、自分のタイムラインには自分が聞きたいことや自分の意見に近いこと、自分が心地いいと思うものばかりがあふれるようになっています。本来、合意形成や妥協は相手の意見を聞くところから始まるものですが、自分と異なる意見についての許容度がどんどん下がっているように感じます。その中で、どのように合意形成を進めるのか、それがそもそも可能なのかというところはとても心配です。

─今のままの人口動態が続けば、2044年までに非ヒスパニック系白人が人口に占める割合は50%を割ると言われています。初めて白人がマジョリティではなくなるということです。このままの傾向が続けば、米国を分かつもう一つの要因と言われる「銃所有」などアメリカのカルチャーと言われる部分も変わるかもしれません。逆に言えば、白人男性の支持を受けたトランプ大統領はその流れを変えたい。

篠原:そうだと思います。不法移民は規制すべきだと思いますが、ビザ発給制限などで合法的な移民を実質的に抑制し始めているのは、白人マイノリティ化の速度を落とすという意味も底流にはあるのではないかと思っています。

─結局のところ、アメリカファーストという思想が人口に膾炙(かいしゃ)するようになったのは、米国が主導的に進めたグローバリゼーションによる格差の拡大と金融危機にあったということでしょうか。

篠原:冷戦終結後の米国の成長をドライブしたのは、主にテクノロジーの進化とグローバリゼーションの深化だったように思います。単純化すれば、優秀な移民の流入がシリコンバレーなどでイノベーションを生み出し、NAFTAや中国のWTOなど自由貿易の拡大が米企業の成長を促した。ただ、生産拠点の最適化によって国内が徐々に空洞化し、打撃を受けた人が不満をためた。それがトランプというアイコンの登場によって表面化した──という話。もちろん、金融危機が低所得者層に一層の打撃を与えたのは間違いありません。

─そして、誰がなってもアメリカファーストは変わりそうもない。

篠原:結局、トランプ大統領の行動のすべては自国の利益の最大化です。NAFTA再交渉でUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)にアップデートしましたが、主な目的はメキシコの労働条件を改善することで製造業の競争力を落とし、米国に工場を回帰させることです。米中対立も、次世代のテクノロジー覇権を巡る争いに昇華してしまいましたが、元はといえば米国産品の輸出増大と製造業の回帰に伴う雇用創出が狙いでした。製造業の米国回帰で米国の消費者が得かどうかはさて置き、自由貿易の被害者である労働者の雇用創出が大きな目的だった、と理解しています。

同様に、国際機関に背を向けるのも、国連をはじめとした国際機関が米国の国益になっていないという不満がベースにあると思います。今回の新型コロナウイルスの感染拡大では世界保健機関(WHO)のトップが中国に忖度していると批判が起きました。世界貿易機関(WTO)にしても、紛争解決に時間がかかる上に、為替操作を罰する規定がないので結果的に中国を利することになりました。拠出金を誰よりも出しているのに、米国のためになっていないという不満は根強い。北大西洋条約機構(NATO)をはじめ、同盟国に拠出金の減額や応分の負担を求めるのもみんな同じ。先のことは分かりませんが、米国が内向きになり、自国のことをまず考えるようになるという流れは変わらないのではないでしょうか。 

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覇権国家アメリカが抱える本当のリスク

─トランプ政権の一つひとつのロジックはよく分かるし、局所的には正しいかもしれません。ただ、「合成の誤謬」という言葉があるように、一つひとつは正しくても、最終的には米国はとんでもない損を被るのではないかと危惧しています。

篠原:どういうことでしょうか。

─「覇権国とは何ぞや」ということを考えた時、覇権国は経常収支を大幅に赤字にする権利を持つ唯一の国と言うことができます。

篠原:いわゆるシニョリッジ(Seigniorage)ですね。

─そうです。ただ、仮に米国がアメリカファースト路線を進めれば、長期的には覇権国としての立場を失っていくでしょう。国際機関やNATOに対する拠出金は足元で見れば費用対効果の悪い無駄遣いに映るかもしれませんが、米国が覇権国の地位を維持していたのは国際機関や同盟国などを通して世界への影響力を維持していたからこそ。そして、覇権国としての立場を失えば、世界中からカネを集める権利を失う。それは結果としてのヘゲモニーのシフトにつながると思います。

米国が覇権国でないと他の国々に認識されたら何が起きるか。それはドルの信認低下、ドル価値の大幅下落であり、他国からの借入に制約が生まれるということです。これは、恐らく次の数十年に起きる危機の1つになる可能性がある。この意味で、トランプ政権が打ち出している政策はディールという観点では正しいのかもしれませんが、長い目で見るとアメリカのためにはなりません。結果として、戦争をすることなく中国がヘゲモニーを得るような気がします。

篠原:大統領はいざ知らず、政権の人々はバカではないわけですから、いずれかのタイミングで修正するのではないでしょうか。

─自分の話ではないと思っているんじゃないでしょうか。もちろん、自分の資産逃避はするでしょう。ただ、国を守ることはできないと思う。米国の成功は、グローバル化を進めつつ、経常収支を徹底的に赤字にして消費者がベネフィットを得るという世界を作ったこと。それが逆回転し始めれば、止められません。今後、一番大きなマクロリスクだと思います。 

世界中で、ゆるい帝国化が進む

篠原:21世紀のいつごろ起きるのでしょうか。

─それは分からないのですが米国がヘゲモニーを失う前に、国民国家の超帝国化が進むと思います。この超帝国化には2つのプロセスがあって、一つは経済のブロック化です。既に米中対立という形で顕在化していますが、かつての米ソ冷戦のように、関係の深い国同士で固まっていく。米国は米国、メキシコ、カナダの3カ国が参加するUSMCAをベースに一つの経済圏を構成するでしょう。一方の中国も「一帯一路」を軸に、中央アジアや東南アジア、アフリカで影響力を深めています。こういったブロック化を通してゆるい帝国化が進む。

もう一つはサービスを通したブロック化です。第2次大戦以降、ブレトン・ウッズ体制やGATT(関税及び貿易に関する一般協定)体制の時の貿易は基本的にモノの取引だけでした。モノはどこに行っても機能が変わりませんが、サービスは違います。特にデジタルサービスに顕著ですが、サービスはその国の規制や価値観、行動様式に強い影響を受けます。

例えば、ウーバーです。中国でサービスを始めましたが、規制や当局の嫌がらせなどがあり、思ったようにサービスを拡大できず、中国の滴滴出行に事業を売却し撤退しました。僕たちは“City as a Platform”と呼んでいますが、サービスは都市ごとに、あるいは国ごと、ブロックごとに最適化していくと見ています。

このように、経済のブロック化とCity as a Platformの両面でゆるい帝国化が進み、ゆるい帝国同士で競争が起きる時代が来るでしょう。その中で、米国はビジネスのエコシステムを構築し、ヘゲモニーを維持しなければなりません。

篠原:ゆるい帝国化という観点で見ると、欧州から離れた英国が米国側につきそうですね。

─その通りです。欧州の動きを見ると、ドイツ帝国になりつつありますね。改めて、通貨を一つに統合したにもかかわらず、国を統合しないままにしたという意味はなんだったのかということを考えると、言葉は悪いですが、ドイツの策謀だったように思えます。

篠原:通貨統合で最も恩恵を得たのはドイツですからね。

─ドイツマルクはもともと強い通貨でしたが、他のEU諸国、とりわけ南欧の国々の通貨は弱く、加重平均したユーロはマルクよりも安くなりました。これは輸出国であるドイツには強烈な追い風です。ドイツが財政収支で黒字なのも当たり前でしょう。

経済破綻しかけたギリシャは逆です。ギリシャ危機の時はギリシャの放漫財政が批判されましたが、ギリシャにすれば、EUに参加に爆弾が埋め込まれていたようなものです。ギリシャの旧通貨だったドラクマは相対的に弱い通貨でした。その弱い通貨がユーロになれば、ギリシャにとっては通貨高と同じで輸出競争力を失います。

EUの創設と通貨統合の前提としてあったのは、労働調整、産業調整が域内で進むという考え方でした。しかし、米国のラストベルトで見たのと同様に、仕事を失ってもそんなに簡単に人は移動しない。故郷を捨てないんです。ギリシャ危機のような経済危機の時は通貨安にして、輸出を増やすのが常道ですが、通貨を統合しているからそれもできない。それでは、公共事業などの財政政策で景気を下支えできるかと言えば、危機下にあるギリシャには財源がない。じゃあ、EUとして財政支援すればいいのかもしれませんが、ドイツを中心とした経常黒字国や倹約国が反対するのでそれもできなかった。それが分かっていたからこそ、英国はユーロに参加しなかったわけでしょう。そして今回、ブレクジットで完全にEUから抜けた。

篠原:新型コロナの感染拡大を受けて、欧州も財政統合に向かう流れができましたね。

─結局、欧州はドイツを中心としたゆるい帝国化に向かうと思います。今後は、米国、メキシコ、カナダの北米3カ国に英国、オーストラリアなどを加えた帝国、中国と一帯一路の影響国、ドイツを中心とした欧州帝国、ウクライナなどを含めたロシア帝国、そしてトルコ、イランを軸としたイスラム圏などに分かれるのではないでしょうか。今は米国がヘゲモニーですが、それを失った場合の打撃が極めて大きい。 

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ゆるい帝国時代、「無限に成長する経済」社会は終わる

篠原:ゆるい帝国同士が競い合う時代に、これまでのような経済成長は可能なのでしょうか。資本主義の歴史を考えれば、フロンティアの存在が成長の原動力だったと思います。帝国主義の時のスペインや英国は植民地との貿易が成長のドライバーでした。米国も古くは西部開拓、冷戦終結後は民主主義の輸出を通して世界中に販路を拡大しました。ただ、ゆるい帝国化の時代は帝国内の需要を開拓するか、他の帝国内の需要を取る以外にありません。通常の貿易という形でそれが行われればいいのですが、ゼロサムの奪い合いになるかもしれない。そうすれば紛争です。

─そもそも地球が無限だと考え始めたのは大航海時代からです。それまでは、都市国家が勃興した地中海経済です。この時代は閉鎖した経済圏の中でモノやサービスが循環しており、ほとんど経済が成長しませんでした。現に、金利がつかない時代が100年ほど続いています。その後、大航海時代が到来し、海の向こうに市場があることが分かりました。株式会社の概念が生まれたのも大航海時代の後です。株式会社のコンセプトは有限責任で破綻しない限り法人が永遠に存続するというものですが、そういった考え方が生まれたのも海の向こうが無限に思えたからでしょう。グローバリゼーションの終わりが来るとすれば、それはこの無限という概念の終わりを意味します。

篠原:円環、循環という価値観の時代にどう生きるか。そういう意味では、自然の中で暮らしてきた日本人にはいいかもしれませんね。魂の根っこのところに循環的な価値観を持っている人は多いように思うので。

─社会としてはいいかもしれませんが、企業を経営している側からすると厳しいですよ。無限に続くという前提でカネを集めていますから(笑)。

篠原:完全に余談ですが、独立後の英語の社名を蛙プロジェクト(Kawazu Project)にしたのは、会社は無限であるべきではないと思ったからなんですよね。私の本業が編集や原稿執筆、動画作成など企画系だからということもありますが、一つのプロジェクトが終わったらそれで解散して、別のプロジェクトを立ち上げる。その繰り返しが今日的かなと思いまして。

─その感覚です。

1つの国に「二つの世界」が併存する未来

篠原:ゆるい帝国化の時代は紛争が多発する厳しい時代なりそうですね。

─実は、僕はそこまで悲観的にも考えていなくて。これまでの工業化社会と金融資本主義の世界では、評価基準は売上高や利益、GDP(国内総生産)など、モノやサービスの交換で生じる交換価値でした。時間の概念についても、速く、効率的に、交換価値の高い付加価値のある製品やサービスを生み出すこと。それが工業化社会と金融資本主義の価値観でした。 

ただ、デジタル化の進展によって、サービスの限界費用はどんどん下がっています。いずれデジタルサービスの限界費用は限りなくゼロに近づくでしょう。工業化社会も設備投資による生産量の増大を通してコストを引き下げてきましたが、これからの限界費用ゼロ社会はこれまでの工業化社会とは別物です。 

しかも、クラウドファンディングなどで明らかなように、モノの値段は一つではなく、人によって異なるということが当たり前になっています。つまり、交換価値からそれぞれの主観を軸にした主観価値に変わりつつあるということです。さらに、誰とどうつながっているか──。そういった関係性も価値を持ち始めている。これはお金という単一の貨幣を軸にした従来型の資本主義ではなく、人によって異なる価値の異なる共感をベースにした資本主義に、徐々にではあるがシフトし始めているということだと思います。

篠原:よく分かります。

─このように、工業化社会・金融資本主義という世界から、限界費用ゼロ社会・共感資本主義になると、評価軸は「幸せ」のような数値化や可視化が難しいものになるでしょう。もちろん、しばらくは移行期で両方の世界が共存します。先進国の中間層以上の人にとって、どうしても欲しいモノなどほとんどないと思います。そういった人々はお金以外の価値観を重視し始めており、限界費用ゼロ社会・共感資本主義の世界に既に移行している。一方、篠原さんが著書で書かれたような中間層以下の人々は工業化社会・金融資本主義の世界における価値を追求しなければならない。一つの国の中に、二つの世界が併存するような形が続くとみています。

篠原:米国で暮らしていて感じたことですが、富裕層と貧困層のライフスタイルはどこの国でも同じだということです。マンハッタンや上海、港区の一部で暮らしているような富裕層の使っているガジェットやサービスは同じようなものでしょう。同時に、貧困層が置かれている状況はどの国でも大して変わらない。

─まさにその通りで、国家間の格差より国内の格差の方が大きいという指摘もあるほどです。ちょうど今、エマニュエル・トッドの『大分断』 を読んでいるところですが、新しい階級か社会が形成されていると強く感じます。昔は貴族と庶民でしたが、今は親の所得が子どもの教育格差につながり、それが新たな階級を生み出している。

ただ、先ほども言いましたが、今は移行期です。この後、限界費用ゼロ社会・共感資本主義は主観と関係性の世界ですから、お金の資本と違って共感資本はどんどん増えていきます。利他的に人のために何かをする幸せ、人として成熟する幸せ、円環の中で自身の感性が磨かれていく幸せ。それぞれの幸せを最大化できる時代が来るのではないかと思っています。

篠原:世界がそこに行き着く前に、帝国同士の競争と米国のヘゲモニー喪失という激動の時代を乗り越える覚悟が必要かもしれませんね。

─篠原さんがおっしゃるように、トランプ大統領というのはあくまでも代名詞であり、誰がなっても大きな流れは変わらないでしょう。11月の大統領選はトランプ政権の過去4年間の審判という意味合いが強いですが、10年後、20年後から振り返ったときに、米国がヘゲモニーを喪失する一つのエポックメイキングな事象だったと認識されるかもしれません。

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