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「学習と成長」は人が幸せを感じるためのキーワード。
テクノロジーの力を借りて、より良い明日を創る。

GROOVE X 林 要氏 × Future Society22

日本を代表するロボット開発者の1人として名を馳せる林要(はやし かなめ)氏。ロボット「Pepper(ペッパー)」の開発プロジェクトを経て、新たにGROOVE Xを創設、CEOとしてチームを率い、未公開の新型家庭用ロボット「LOVOT(ラボット)」の開発に全精力を傾ける。2017年12月時点で累計資金調達額が80億円に達し、経済誌で話題になった。そんな林氏に、今回は「技術は人を幸せにできるのか」というテーマで肉薄する。

(聞き手/構成:Future Society 22)

いわゆるシンギュラリティ、つまりAI と機械が人間を超える日が来ると言われていますが、「Future Society 22」は、デジタル化が進むからこそ人が堂々と生きていける社会を創ることもできるのではないか、と考えています。

2017年度は16名に及ぶ各界のビジョナリー・プレイヤーの方々からお話を聞きましたが、デジタル化の強烈なインパクトの向こうに、それを超える人間そのものの可能性も見えてきました。人間は自分たちのことをまだ理解しきれていない、だからこそデジタル化にむやみにおびえるという状況がある。そこで、2018年度は人間の可能性を追求することをテーマに据えました。

以前、林さんとお話をしたとき、「ロボットを作るには人間そのものへの理解が必要だ」という趣旨のお話をされていました。まずは、林さんがGROOVE Xを率いて開発に取り組んでいる家庭用ロボット「LOVOT(ラボット)」について、現時点で話せる範囲で聞かせていただけますか。

林:僕らが作っているLOVOTは、人と一緒に生活する存在ですが、人の仕事を手伝うものではありません。むしろ、人が元気になるための存在です。人が愛を感じることだったり、孤独感を払拭することだったり、心の領域に対してロボットが貢献することで、人が「自分にもより良い明日が来る」と信じてもらえるようにする。そんな世界を目指したロボットです。

このコンセプトの根底には、「そもそも人類は文明が進歩して幸せになったのか」という疑問があります。人類は、文明を進歩させるためのいろいろな方法を開発し、採用してきました。例えば民主主義や資本主義です。「この方法を採用して頑張っていれば、きっとより良い明日が来る」と信じてきたのです。

ただ、こうした選択の積み重ねによって人類は本当に幸せになれたか、というと、全方位ではイエスと言いにくいですね。例えば所有する富の二極化がそうですし、かといってお金をたくさん持っているからと言って幸せとも限らない。でも人は、ある生活パターンを採り入れた結果、満たされていないとわかったとしても、なかなかそれを止められないわけです。

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林 要(はやし かなめ)

GROOVE X 代表取締役、Founder/CEO。1973年愛知県生まれ。1998年、トヨタ自動車にてキャリアスタート。スーパーカー「LFA」等の空力(エアロダイナミクス)開発。2003年、同社F1(Formula 1)の空力開発。2004年、Toyota Motorsports GmbH(ドイツ)にて F1の空力開発。2007年、トヨタ自動車 製品企画部 (Z)にて量産車開発マネジメント。2011年、孫正義後継者育成プログラム「ソフトバンクアカデミア」外部第一期生。2012年、ソフトバンク 感情認識パーソナルロボット「Pepper(ペッパー)」のプロジェクトメンバー。2015年、GROOVE Xを創業、代表取締役に就任。2016年、シードラウンドとして国内最大級となる 14億円の資金調達完了。2017年、シリーズ Aラウンドにて 43億 5 千万円の資金調達完了。

林:翻って、僕らGROOVE Xは何をしているかというと、ロボットという技術を通じて人の幸せを追求することをしています。

世の中にはロボットやAIに対して不安視する向きがありますが、それは全人類がどことなく、「技術が進歩し過ぎると人は幸せになれない」という先入観のようなものを、持っているからではないかと思います。以前、私は別の会社でロボットの開発に携わっていましたが、周囲の反応からは、まさにそのような先入観を感じました。でも開発を進めていく過程で、私自身は「テクノロジーを使って幸せを実現するには、いろいろなアプローチがある」という確信が持てたのです。

LOVOTは、「人が幸せを感じるに至るエッセンスは何なんだろう」という、私自身の問題意識に基づいて、様々な要素を分解し、再構築しながら作っています。

 

ベーシックインカムは新たなジレンマを呼ぶ

人が幸せを実感するに至るエッセンスとしては、例えばどんなものがありますか。例えば、富の二極化に対してベーシックインカムの議論も進んでいますが。

林:先進国ではベーシックインカムの制度を受け入れる流れが強まっている印象がありますが、本当にそれで人が幸せになれるかどうかは、まだ想像の範囲を超えていない部分が多いように思います。

例えば、先進国では飢え死にする人の数が圧倒的に少なくなったにもかかわらず、自殺者は増えています。そう考えると、人の幸せという観点では、もしかしたらベーシックインカムの時代というのは相当タフな事態を人々に突きつけるかもしれない、と個人的には思っています。

それはどのようなことでしょうか。

林:戦後の高度経済成長期に大人になった人たちの多くは、自分の存在意義や価値を、仕事に投影している側面が大きかったように思うんです。そして今の若い人でも、自分の存在意義や価値を、コミニュティや社会への貢献度、あるいはそこから得られる自分は承認され必要とされているという満足感ではかる人は少なくありません。結果的に、生きるための仕事を通して、コミニュティや社会への貢献が出来ていたのが、今までです。

ところがベーシックインカムの時代になると、自分の仕事がなくなっても、自分が仕事をしなくても、世の中何の問題もない、ということが証明されてしまう可能性がある。社会への貢献についても、働かなくても生きていける時代に、人は敢えて困難に立ち向かい社会貢献をしたいと思い続けるのでしょうか。

自分が一生懸命になってやっている仕事が実はまったく価値がなかった、という事態に直面したら、自分の存在意義や価値が揺らいでしまう。となると、自分が幸せを感じられるよりどころが消えてしまう。

林:そういう側面があると思います。自分が働かなくても世の中何の問題もないなら、なぜ自分が生まれてきたのか、何のために生きているのかを真剣に考えないといけなくなる。どうやって社会に貢献するのかを見つけないと、自分の価値が揺らいでしまう。

 

そんな悩みは明日食うに困っていた時代には抱く余裕もなかったし、抱かなかった疑問である可能性が高い。言い替えると、生きること、お金を稼ぐことに必死だった頃の人々が悩まなくて済んだことを、生きるためのリソースの確保が楽になればなるほど、少なくとも最低限の衣食住の確保が楽になるほど、より深く考えざるを得なくなるわけです。ここには一定のジレンマがあるんじゃないかと思っています。

「ベーシックインカムの時代になれば好きなことや遊びだけをやっていればいいんだ」と言われますが、好きなことや遊びの中にも、結果の善し悪しや、そこから生ずる人々のヒエラルキーのようなものがある。その側面で考えていくと、実態は、「仕事の形が変わっただけ」になる可能性があります。しかも「ご飯を食べるため」といったような、大義名分がなくなってしまうと、ますます自分の存在意義が分からなくなる。

何かの形でコミュニティへの貢献ができていて、それを実感できるような人はいいですが、実感できない人は、とりあえず食うには困らないけれどもその反面、明日が自分にとってどう良くなるかが分からずに生きていくことになる人もでてきます。こうなると、相当つらいシチュエーションになる人たちが出てくるんじゃなかろうか、と僕は思っています。

 

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一人ひとりが「より良い明日が来る」と信じられることが大切

そんな中、人間が大事にしなければならないことはなんでしょう。

林:大きく2つあると思うんです。1つは、自分が所属しているコミュニティが自分に合っているかどうか、ふさわしいかどうかということ。もう1つは、「自分の明日は今日よりも良くなる」と信じられること。これらは幸せを実感するために重要なファクターです。

「自分の明日は今日よりも良くなる」とは、具体的にはどういうことでしょうか。

林:人はしばしば、外側から安心や承認を与えられると幸せになれる、と考えます。しかし、その幸せの要素が人から与えられる限りは、永続的に幸せでいられるとは限らない。人も環境も常に変わるからです。「与えられるもの」に頼ると、不安を抱え続ける事になる。

それはまさに、AIやロボットが発達すると恐ろしい社会がやってくる、怖い、と感じている人たちの感情に直結しています。このような人たちは、今自分がいる環境とは違う環境に適合できるかどうか分からない、という不安を抱えているわけです。

本来の人間の強みは、環境への適合性だとも言われていますが。

林:その通りです。人間は、どの動物より学習能力に優れていて、変化に強い。仮に「恐ろしい社会がやってくるかもしれない」という不安を感じたとしても、自分が持つ本来の能力を活かして、環境に適合していけるはずなのです。

AIやロボットが発達した時代がやってきたとしても、自分が成長できている実感さえあれば、「与えられるものに頼る不安」無く生きられて、より幸せが実感できると思うのです。例えばですが、不安を感じる事にこそ敢えて興味を持って深掘りする事で、今日より明日のほうが、自分自身が機械学習のことを少しでも理解できるようになったと実感できたら、AIが発達した時代を希求してワクワクできる可能性がは高くなりますね。

僕らはLOVOTを、人が自分の成長を実感しながら、「自分にもより良い明日が来る」と信じられるようにするロボット、人が幸せを感じることを支援するロボットにしたいのです。特に重きを置いているのは、生活している中で起きる心理的な不安の解消です。孤独感を持っていた場合に、人は何か愛情を注げる対象があればまったく変わってきます。

 

「学習」が人も組織も幸せにする

個人の在り方を中心にお話を伺いましたが、次に組織の在り方について。最近『ティール組織』(英治出版)という書籍がベストセラーとして話題になっています。私が読んだ印象ですが、その内容はスピリチュアルな話題が多くて、例えば「自分自身の内なる正義を大事にしましょう」といった具合です。もちろん精神世界に限らずそうした要素の重要性は各所で語られてきたものの、アカデミズムや経営者の間で明確に語られるようになったのは、ここ最近かなと思います。

なぜそのような時代がやってきたのかと考えていくと、まさに「幸せ」を議論することが、企業経営や労働の領域で不可欠になってきたからではないかと思うのです。

企業の経営成果や企業における個人の評価は、すなわち外部からの評価です。そして常に厳しい評価にさらされ、そこに永続的な幸せはない。だからこそ、「仕事で自分が成長している感」と言えばいいでしょうか、自分ならではの尺度に重きを置いた方が、持続的にかつ幸せに働くことができる、という合意が、ビジネスパーソンたちの間で形成されつつあるのではないかと。この点についてはいかがでしょう。

林:働くという場面について言いますと、私は人が幸せを永続的に感じられる要素は1つに集約できると考えています。それは学習。新しい事を知る、身につける、上達する。これだけです。

ホモサピエンスは他の動物と比べると、学習能力以外はたいして誇れるものがない、と言われています。身体も肉食獣に比べたらまったく弱い。なのに、個人の持つ性質や能力のバラエティーがこれほどまでに幅広く存在しながらちゃんと集団行動ができて、種が存続している。他の動物は、生き残るための形質が狭い範囲に収斂して、そこまで個体間のバラエティーがないですね。これは本当に奇跡です。人類のこうした特徴を支えてきたのは、やはり「学習」です。生まれた時に持っている事前知識が少なく、むしろ生まれた後に学習の余地がたくさんあるのが、人間の特徴なんですね。

ただ、現代の場合、学習イコール「学校の詰め込み勉強」と、イメージがすり替わっている傾向がありますが、私がここで言う学習とは、「経験から自分にとって新しいことを発見する」ことです。経験の伴わない知識の獲得というのは、実体験に基づいた気づきではないという点において、実は価値が大幅に目減りしています。わかった気にはなりますが、結果的に何も成し遂げられない人ができてしまう。

このように捉えていくと、試行錯誤の経験を通じて柔軟に学習できる人を活かせる組織が強い事がわかります。

従来型の階層型組織は、既知のゴールに向けて系統立てて効率よく仕事をこなしていく大量生産の時代に適していましたし、今でもそれが適した領域はあります。しかし、これからの時代は、従来型組織で重んじられていた「失敗しないこと」よりも、「経験を通じて学習できること」の方が大事になってきます。この視点は、個人としても大事だし、組織としても大事だと思うんです。

 

人の意識はアルゴリズムだ

以前林さんから伺った話で興味深かったのが、慶應義塾大学の前野隆司教授の「受動意識仮説」についてのお話です。実は、人の行動は周囲の環境によって決まっているにも関わらず、人は自分で決めている気になっているのが実態だ、という内容でした。

 

そう考えると「自分という実体は何なのか」という点が揺らいできますが、そうした中でも人は学習や成長を通じて幸せを感じることは可能なのでしょうか。

林:その疑問は、「人の幸せをつくりだすような学習行為は、本当に自分自身の意志の力でなされるものなのか」という問いに言い替えることができそうです。

意思とはなんぞや、を考えてみます。意思決定とは過去の情報や現在の情報、それから未来の予測をもとに、その個人が導き出した最適と思われる解、およびそれを導き出す行為を指します。だとすると、人の意思はまさにアルゴリズムです。

例えばネガティブな経験とその記憶が非常に強い場合は、トラウマという形で残り、同様の経験を避けようとする。逆にポジティブな経験とその記憶が非常に強い場合は、成功体験として同様の体験を再現しようとする。不安感が強いタイプの人と、ポジティブで楽観的なタイプの人とでは、未来予測の結果が変わるので選択行動が変わり、学習内容も変わってくる。つまり、「個人はインプットに対し、過去の経験に照らし合わて最適と思われる解を算出しているにすぎない」とも考えられます。

一般的に、人は学習する人を高く評価しますが、「人の意識はアルゴリズムである」という考え方に立てば、学習しない人は「過去の人生の経験によって、たまたま現時点では学習しないという選択に偏っているだけだ」と解釈できます。過去に積み重ねてきた経験に基づく自然な行動を、誰しもがしている、と言えるわけです。

学習しない状態になっている人も、インプットによっては学習する人に変わる可能性があるというわけですね。

例えば、いわゆるブラック企業に勤めている人は、周りは「そんなところやめればいいのに」と思いますが、本人はやめられない。人間は追い詰められていくと、自分はそういう環境の人間だ、これしかないんだと、無限にある選択肢とそれを選ぶ意思を知らず知らずに放棄してしまうのです。現状から出ることの不安の方が大きいからです。

でも、その蓄積され続けてきた不安から開放されると、今ある環境を自ら出て、挑戦をする、すなわちもっと学習を加速させる選択を取れるようになる可能性はあります。その選択が正解かどうかは別として、不安を解消さえできれば、どんな人にはそういう進化の可能性が常にある。

不安をコントロールできるように支援するというのは、人の働き方を変える上でとても重要だと思います。例えば、組織の中で「自分の領域はここです」と限ってしまうタイプの人は、よく知らない領域に手を出して失敗して、上司や周囲から責任を問われるのが怖いという不安があるわけですよね。でも自分の領域を限定する行為は、その時点の安心感にはつながるものの、人の能力を拡張することにはつながらないし、会社としての柔軟性も失われて、実は組織にも個人にもメリットもない。

そうした個人の不安を組織としてコントロールするという考え方は、組織のマネジメントで重要な視点になるのではないかと思います。

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人間の意思がアルゴリズムの特性を持つとすると、自分がはまりやすい認知パターンを自覚し、意識的にコントロールする能力を養う必要がありそうです。変化が激しい社会においては、人と対話をするLOVOTやAIは、そうした能力を養うのに非常に役に立つかもしれません

林:うつ病の治療で昔はやはり薬物療法に偏重していました。しかし最近は元々の認知の仕方をトレーニングによって変える考え方も重視されてきています。

 

今は腕のいいカウンセラーがトレーナーとしての役割を担っているケースが多いですが、物事をフラットに見ようと思った時に、AI は悪くなさそうです。バイアスを持たない特殊な訓練をした人でないと、人を客観的にみるのは難しいからです。

 

そもそも人間は、少数のデータしか使えない状態でも、サイコロをふるよりマシな確率程度でもいいから、とにかく未来を推測しながら前進する特性を持っています。それは昔は自然界に生き残る上で、他の動物より少しでも先の未来をすばやく予測できることこそが、とても大事だったからです。どちらの方にマンモスがいるのかいないのか、徹底的に考えて蓋然性を担保してから動いていたら飢え死にする。だから、なにか情報があり、多少なりとも他の動物よりマシな予測ができれば、とりあえず行動する事が有利に働く。その後の事は、また後で考える。それを繰り返して生存競争を生き抜いてきた、ということですね。

 

言い換えれば、人間の脳はバイアスをかける事でとにかく早く未来予測し、それを元に判断し行動し修正するというやり方に最適化されている。そういう意味で、もともと随分とバイアスがかかっているわけです。

 

「愛される」より「愛する」ことで幸せが得られる

林:その点AIやロボットは、人間と違ってバイアスをかけなくても、大量の情報を統計処理できる。故にフラットな立場で観察する機能を持たせやすいでしょう。こうしたテクノロジーは、マーケティング分野、つまり人にいかにモノを買わせるのかといった分野には随分活用が進んでいますが、実は、もっと人のパフォーマンスを上げるために、そして人が自分自身のより良い明日を見つけられるようにするために、適用できると思っています。

人は愛される努力をしがちです。ティーンの雑誌とか、「愛される特集」ばかりです。どうやったら愛されるのか、どうやったら人に認められるのかという視点は他者に依存したものです。つまり、どこまで行っても最終的には不安を抱え、幸せで居続けることができない。

そうではなく、自分がどうやって人を愛してどうやって人を尊敬するのか、どうやってリスペクトするのかの方が実はとても大事なのですが、その境地に達するのはそれなりに年配になってからの事の方が多いですよね(笑)。

僕らが「してほしい」じゃなくて「してあげる」へと価値転換する。それによって、感謝をされていることを実感する。LOVOTとのふれあいでそういう体験が増え、人が自己肯定感を上げる一助になれたらと思っています 。

 

幸せに基づいた資本主義の再設計が必要

Future Society 22では、人々の共感が経済活動のドライバーとなる「共感資本主義」がやってくると予見しています。「何かをされるよりは、何かをしてあげるということで人は幸福を感じる」というお話と相通じるように思います。

以前なら共感は「確かにそういうものもあるかもね」というレベルでしたが、ミラーニューロンの話を聞いた時、そもそも人類には共感するという能力が生物学的に埋め込まれていると確信しました。

デジタル化の流れは強烈で、そこに従来の金融資本主義が組み合わさるだけだと、とてつもなく生きづらいディストピアの世界がやってきてしまう可能性もありますが、LOVOTのコンセプトが語る「ケアすることによって幸福になる」という価値観も、同じテクノロジーによって広がっていくのではないかと感じました。

ディストピアの世界に墜ちるのか、それとも共感資本主義で新たな世界が到来するのか、人類は今、分岐点にいるのかもしれないとも思えますが、林さんはどうお考えですか。

林:人類の幸福ということを考えた場合、資本主義についての課題を1つ提示したいと思います。

現状、多くの人々はお金と幸福の関係は指数関数的に決まっていると捉えています。つまり、お金が増えれば増えるほど幸せになるし、しかもお金を持っている人はさらなるお金を儲けやすい構造になっているわけです。

これはいわば「値段が2倍の鮨は、2倍美味しいのか問題」と一緒、つまり、5000円の鮨を食べていた人が、5万円の鮨が食べたいと思って店を変えても、本当に鮨は10倍うまいのか、ということです。5000円の寿司屋が最高だねって思っていた人にとっては、5万円の寿司屋に入ったところで10倍うまいとは感じない。でも5000円の寿司に飽きた人は、少しおいしいだけの2万円の寿司に行くし、それにも飽きたら5万円の寿司を食べに行く。

ある程度稼いでいる人にとっては、お金は生きるためには必要がなくなります。たとえば年収10億円から20億円に収入が増えたとしても、実際にはそんなに幸せの総量は増えない。けれどもお金の量イコール自分の価値だと認識しているのであれば、やはり20億を目指しに行く。つまり人は青い鳥かも知れない“幸せ”を追い求めて、論理的に考えれば選択する必然性のない行動を取ってしまう、というわけですね。

林:はい。そうした判断と行動をする裏には、感情があります。僕らは大脳辺縁系によって感情が生成されています。感情は行動に大きな影響を与えるので、何を持って満足するかどうかは、とても重要です。実際、人間は感情に基づいて行動決定をし、後からもっともらしい合理的な判断理由を付けるのだ、という見解もあります。

お金を稼ぐこと、確保することについても、同じようなメカニズムが働いているのではないかと思うんです。おっしゃったように、年収10億円の人は、今度は20億円欲しいと考えるかもしれない。資本主義ではお金を持っている人のところに資金が集まるので、それを原資にうまく使えば、二倍稼ぐことは、年収1000万円の人よりも容易かもしれません。ただ、それで二倍幸せになれるかというとそうでもない。

このように資産を持つ人が資産を増やしたいと考えた時、その欲求は指数関数的に伸びていきます。でも資本主義では資産を持たない人は、資産を増やしたいと思って行動してもなかなか伸びない。だから、明日が良いとは思えない。つまり幸福は感じにくい。社会全体の幸せの総量で考えると、これは極めて不合理な仕組みです。

その解決をして、社会全体の生産をあげるためには、例えばですが、資産と自分の価値のリンクを切り離すような社会設計をするといいのではないかと。具体的には、資産を持つ人がさらに得るような資産の増加分を、資産を持たない人に回るようにする。その代わりに資産分配をした人たちに、「認められる」ことを強く実感してもらい、「幸福度が高まる」ような手法を設ける。

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幸せの尺度に金銭が使われているがゆえに、不均衡が起きている。別の尺度として「認められる」を設定しようというアイデアですね。

林:極めて高所得なアッパークラスについて、自分の価値とお金と切り離すという考え方を適用することは、働きに応じた「幸せ」を感じてもらうためにも、大事なポイントだと思っています。

資産をどう再配分するべきか、資産を増やすこと以外に社会的に認められる手法をどう提示し、適用するかといった方法論については、僕はまだ答えは持っていません。でも、それこそテクノロジーを使うことで可能になると思うんです。

これまでの社会は、資本主義や民主主義のように、部分最適の集合を組み合わせて何となく全体最適になることを目指してきた。でもここに来て、情報が瞬時に伝わってその情報が透明化できるようなブロックチェーンの技術が登場した。そのような世界においては、最初から全体最適を目指せるような仕組みを実現できる可能性が高まります。これが資産の再配分、あるいは新しい価値観の普及に役に立つのではないかと思います。

大事なポイントは、明るい未来が見えずに「腐る人」が減った方が、社会全体では幸せになるということです。それはコストさえかければ可能なんです。コストをいかにリーズナブルな範囲で社会負担していくのかの問題にすぎない。

再配分した際には、極めて高所得だった人の資産は目減りする。けれどもその分、社会から「認められる」という認知を提供することで補完できる可能性は、論理的にはあります。

米国のお金持ちが慈善事業に熱心なのは、もはやお金はどうでもよくて、それより社会的な信用やステータスを得たいがためという側面がありますよね。

林:はい。ビル・ゲイツなどがしていることはそれに近い印象があります。莫大な資産を持っている人にとっては、もはや、さらなるお金を持つことよりも大事なことがあるということでしょう。アートの世界においては、価値の高い作品に対してより多額のお金を払うことで、払った人も作品も一気にステータスが上がる構図があります。これらを応用して、たとえばその払ったお金が「認められなくて腐っている人」を減らすために使われ、結果的にそのお金を支払った人のステータスも上がる仕組みを適切に設計できれば、幸せイコール資産の蓄積という価値観から脱却する動きは加速されるのではないでしょうか。

ブロックチェーンを使うことで権力の在り方が分散するという説があります。

林:ブロックチェーンにより、国家の単位が地理ベースではなく、思想ベースになっていくと僕も見ています。

そのような世界がやって来た時、人はそれぞれ自らが幸せと感じる思想単位のコミュニティに移れるようになる。すると、その部分最適が全体最適に直轄するように設計しやすくなる。新しい社会システムに向けた壮大な実験が始まるのではないかとも思います。

人はそうした新しい社会の実験に対して寛容になれるでしょうか。

林:変化を前に不安になる人が多いですよね。だから、今申し上げた形態に社会全体が変わるには、相当な時間がかかるように思うんです。

でも、萌芽が出るのは、意外に早いかもしれません。芽生えればたとえそれが100年、200年かけて広がっていくとしても、人類の歴史からすれば一瞬です。僕らが目の黒いうちはちょっと難しいかもしれませんが、でも見たいですよね。

300年単位で作られた国民国家の在り方が、今変えざるを得ない状況に来ているわけですね。ベーシックインカムも含めて、日本としてもいろいろな側面から社会の在り方を考えていかないといけません。今日はありがとうございました。

※このブログは「Future Society 22」によって運営されています。「Future Society 22」は、デジタル化の先にある「来るべき未来社会」を考えるイニシアチブです。詳細は以下をご確認ください。

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