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「お茶と権力」に学ぶ身体情報の価値

 

 信長・秀吉も駆使した「人心掌握ツール」はデジタル時代にも通じるか

 (大日本茶道学会会長/公益財団法人三徳庵理事長・田中仙堂氏)   

 

Future Society22

 コロナ禍に見舞われた2020年代は、多くの人が周囲とのコミュニケーション手段について考え直す機会ともなった。公私に渡るリモートミーティングの定着、いわゆる「飲みニケーション」の減少――。しかし考えてみれば、現代ほど人が密に連絡を取れるようになったのはわずかこの数十年に過ぎない。対面し、時と空間を共にすることは、人にとってどんな価値があるのか。2022年、著書の『お茶と権力 信長・利休・秀吉』(文春新書)で、茶道が武家社会に必要不可欠となった構造を説いた田中仙堂氏に話を聞いた。(聞き手:柴沼俊一/構成:中川雅之) 

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【プロフィール】 田中 仙堂(たなか・せんどう) 1958年生まれ。本名・田中秀隆。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得。大日本茶道学会会長、公益財団法人三徳庵理事長として茶道文化普及に努める傍ら、徳川林政史研究所や徳川美術館にて歴史・美術を研究。著書に『千利休――「天下一」の茶人』(宮帯出版社)、『近代茶道の歴史社会学』(思文閣出版)など多数。 

――ご著書を読むと、「お茶」あるいは「お茶会」というものが武家社会の発展にいかに寄与し、またその後、文化として日本の基盤に組み込まれていったか分かる気がします。なぜ今、この本を書こうと思ったのですか? 

田中 仙堂(以下、田中):これは過去に書いた本でもそうですけれど、単純にお茶に対する理解を深めたいと思ってのことです。逆に質問してしまって恐縮ですが、例えば家族の集まりで抹茶を出してみんなで飲んだとしましょう。お茶は飲むんだけれどもみんなそれぞれ別のことをしていて、用事が済んだら帰る。こういう場を、他の人に「昨日、家族でお茶会をしてさ。」などと話しますか? 。

――そう言われると、抹茶はみんなで飲んでいても、「お茶会」とは呼ばないですね。 

田中:そうですよね。非常にあいまいな差ではありますが、我々の意識の中で「お茶会」が成立するにはもう少し要件が必要です。例えば主催側の家がきちんと迎え入れるための準備をする。お茶やお茶菓子だけでは足りなくて、相手のことを考えながらどんな道具でもてなすのがふさわしいかと考える。そういうことがあって初めて成立するわけです。名物としての道具の鑑賞という面もありますが、本質はやはりそうしたコミュニケーションです。 

公家文化に対抗 武家で芽吹いた「お茶文化」 

――そんなお茶が、室町政権時代に公家文化に対抗するためのものとして武家で芽吹いたというのは意外でした。 

田中: はい。鎌倉時代から武家にお茶というのは文化として入ってくるんですが、この時は特別な意味を持ちませんでした。しかし室町に政権ができて、それまでの公家文化が浸透した地域に武家が出入りするようになって状況は変わります。当時の公家の文化と言えばなんといっても連歌。上の句と下の句を別の人が詠む和歌ですね。簡単に言えばこれが上手い人が周囲の尊敬の念を集めていました。 

当然、武家の人も連歌をやりました。しかし、どれほど上手く詠んでも評価のスタンダードを公家たちが持っている以上、いちゃもんはつけ放題なわけです。「京の歴史や文化を本当に分かって詠んでいない」とかね。公家からすれば武家は急な成り上がり者ですから、いじめちゃうわけですよね。 

武家からすると、こんなに報われないことはありません。そこで、自分たちがスタンダードを握れる新しい文化を持とうじゃないかということになります。そこで、足利義満が取り立てたのが「能」でした。観阿弥・世阿弥という天才を見出して、文化として権威付けするために天皇にも鑑賞してもらったりしています。 

同様の構造がお茶にも見て取れます。 

お茶は「闘茶」と言って、関東武士の間で利き茶の賭け事として流行していました。公家たちからすれば「下賤な文化」といわれてしまいそうなところ、義満は造営した「北山殿」に当時の天皇を迎える際に、調度品を中国からの舶来ものの茶器で飾り立てます。当時、大陸からの渡り物は「唐物(からもの)」と言って、公家たちにとっても有無を言わさぬ明確な価値でした。もともと自分たちが育んできた喫茶に、それをするための空間と飾られた道具を洗練する、という新たな価値を加えて、公家たちに突っ込まれない文化を築いていったのだと考えています。 

――そうやって茶器がステータスシンボルになっていったというわけですね。 

田中:室町幕府が集めた唐物の「室町コレクション」は、応仁の乱を経て散逸します。幕府が弱体化する一方、力をつけたのが商人で、豊かになった商人の一部はその地位の証明として「室町コレクション」の名物を収集するようになります。ちょうど、新興のIT企業がプロ野球球団を買ったのと同じですよね。世間に認められたものを買うことで、自分も成り上がりではなく伝統的な価値基準を満たした存在になれるというわけです。 

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信長は知っていた「茶器はコミュニケーションの道具、お茶会はメディア」 

――地位の象徴として、誰にも「見える」ものを欲したんですね。 

田中: 田中:ええ。ただ、これは何も商人だけではありません。織田信長は、上洛の前にお茶文化を予習した形跡があるんです。その後「名物狩り」と呼んでいますが、「お前のところでこれこれという名物を持っているだろう、買わせろ」といった形で収集します。商人も茶器を差し出すかどうかで織田派にくみするかどうかが示されるので、茶器のやり取りが関係の深さを示すものになります。対商人だけでなく茶器は家臣への褒美にもなり、戦国乱世における権力構造を目に見える形で示すものになっていったのです。

――道具のやりとりだけでなく、「お茶会」も盛んに開かれるようになったとか。 

田中:はい。手に入れてもその事実を他人に知らしめないと意味がないですからね。「お茶会をしましょう」と言って人を招待し、「誰々が持っていた名物です」と紹介するという具合ですね。私は当時、茶会が今でいうメディアのような役割も果たしていたと思っています。当時の情報伝達手段と言えば手紙。しかし当事者からの手紙は自分のことは都合よく書くし、他人のことは貶めます。だから額面通りには受け取れないんですよね。

信長が初めて茶会を開いたのは1573年、上洛から5年後のことです。信長はなんとこの茶会で、2幅の掛け軸を重ねてかけて見せます。当然、かなりの無作法ですが私の推測としては、これは信長が意図的にそれを演出したのではないかと思います。この2幅は、朝倉氏の持ち物として有名なものでした。それをあえて無作法な扱いで来客に見せ、印象付けることで「朝倉が織田の軍門に降った」ということを口コミで世間に広めたのです。

今、ウクライナに侵攻するロシアのことを考えてみてください。いくらプーチン大統領がテレビで「真実はこうだからぜひ伝えてくれ」と喧伝しても、我々はだれもそのままは信じないですよね。信長は自分で「朝倉氏を従わせた。広めてくれ」と言うと、眉唾っぽい印象をもたれると思ったんじゃないでしょうか。そこで茶会という場であえて、信長は朝倉氏の所有物を無作法に扱う。そう振る舞うことで、それを見た人が自分の無作法を人に他人に語りたくなる理由を作り、朝倉氏の所有物が自分のもとにあることを間接的に喧伝する方法をとったのだと思います。

――その後の歴史を知っている身からすると、信長につくのが「当たり」だと分かりますが、当時の人たちは「誰が誰についた」とか「誰と誰がつながっている」という情報はまさに命運を左右しますもんね。茶会はそうした情報交換の場所だったというわけですね。 

田中:まさにそうです。だから信長は、同じ茶会で石山本願寺から贈られた「白天目」という茶碗も披露しています。石山本願寺といえば、浅井・朝倉・武田とともに信長包囲網の一角を担っていた陣営です。そこからの贈り物があったということを示したのには、多分に政治的な意図があったはずです。 

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秀吉の時代 茶会は人間を見極める舞台に 

――信長のそうしたやり方は、次の天下人となる秀吉にも受け継がれますが、秀吉の時代にお茶会のあり方も変わっていく印象を受けました。

 田中:信長はお茶会や名物茶器を舞台装置にして、権力構造を目に見える形で周囲に知らしめました。秀吉も信長の後継を目指しているうちはこれと変わりません。しかし、関白になり官位を授かると、例えば信長と同盟関係にあり、ある意味自分よりは目上だった徳川家康なども序列として明確に自分の下になりました。こうなると、なにも茶会や名物茶器で権力構造を明らかにしなくても良くなります。逆に、天下人となり誰もが自分に頭を下げるようになったからこそ、面従腹背ではなく本当に信じられる人間は誰か、ということを秀吉は気にするようになります。すると、秀吉はわずか二畳敷きの茶室で客人をもてなすようになります。二畳しかりませんから、秀吉自らが茶を点てるわけです。手を伸ばせば触れるくらいの距離で、他に人はいません。だからこそ「直心(じきしん)の交わり」ができるというわけです。それまでの大名の茶会では、亭主に変わってお茶を点てる「茶堂」という役割がありました。信長の時代には3人の茶堂の内の一人だった利休は、秀吉の時代には、ナンバーワンの茶堂になります。

――利休はどんな役割を果たしていたのでしょうか。 

田中:主人に変わってお茶を点てるのが、主たる役割なのですが、同時に、信長と秀吉に仕え、大事な会合に居合わせ続けた利休は、政治的にも権力を行使できることになりました。会社で言えば秘書室長のようなものです。例えば社長に重要な決裁を仰ごうとするとき、いつ、どんな持っていきかたをするのがいいか、近い人に相談したりするでしょう。そんな役回りです。特に秀吉は農民から天下人ですから、ベンチャー企業が勢いのまま全国トップにたったようなものです。組織がしっかりしないうちは、古参の補佐役が秘書室から経営企画までなんでもみたりするでしょう?そんな感じだったのではないでしょうか。天下を取って、組織がしっかりしてくると石田三成をはじめとする五奉行などが出てきます。きちんと「経営企画室」ができ上がったようなものですね。しかしこうなると逆に、五奉行からするといろんなことをコントロールしたいのに、秘書室長に話を持っていかれると自分たちが関わらないところで物事が進んでしまう。そんな対立構造があり、後の利休の失脚につながっていったのだと思います。

――ビジネスのたとえは非常に分かりやすくなりました。お茶は政治の重要な舞台装置だったわけですね。 

田中:その側面があったのは事実だと思います。しかし権力に密接に関連した機能だけがお茶の存在意義だとしたら、文化として今日まで残ってはこなかったでしょうね。秀吉が二畳敷きでの直心の交わりを重視したこともそうですが、やはりそこにはコミュニケーションの本質が隠れているのだと思います。言葉というのはいくらでもごまかしがきくものです。しかし人の心というのは態度や姿勢、行動の端に表れるものですよね。同じ空間である程度の時間を過ごすと、その人全体から発せられる情報、「身体性」ともいわれるものを手掛かりに「相手を信用できるか」を判断したりします。

また同じ一つのものを一緒に鑑賞するというのも、価値観がわかりやすく表れる行動です。「あれいいよね」と言ったことに対して、ただおうむ返しにして迎合する人と、自分なりの視点や意見を持ったうえで同意する人とでは、まったく印象が違いますよね。だからこそ、話をもりあげようとするなら、自分も勉強してそのものについて知識を得なくてはいけません。例えば好きな女性が大好きだという小説があったら、一生懸命読んで、次の会話の機会に盛り上がれるようにしますよね?それと同じことです。

――招待される側の姿勢も重要だということですね。 

田中:そうですね。現代はどうしても、「もてなす側」がどこまで行き届くかばかりが問われます。もてなす側が心を砕くのは当然なのですが、コミュニケーションである以上、互いに大事なものを出し合う、というのが基本です。本来双方が協力して成り立たせる場だからこそ、人のいろいろな部分が表れるのだと思います。逆に参加者が茶器に詳しい方だったりすると、その鑑賞にばかり気がいってしまってもてなす側の人に気が回せない、といったケースもみかけます。その方は茶器さえ見られれば満足なのだと思いますが、招いた人への関心が希薄になり過ぎたら、それも望ましい形ではないと思います。

コロナ禍でのリモート時代を経て、再認識された「リアルな対面」の価値 

普段お茶に親しんでいない人が、日々の暮らしの中で生かせることはあるでしょうか。

 田中:関係を深めるために互いに家に招いたりすることはあると思うのですが、「家においで」と誘うのって、ハードル高くないですか?そもそもどんな準備をしたらいいか分からないし、相手も気を使うだろうし。そんな時に「お茶会やるので来ませんか?」と誘うと口実になって相手も来やすいと思うんです。「お茶会」というコンセプトがあると、用意するものなどもイメージできるようになりますよね。作法というと面倒だというイメージもあると思うんですが、「こうすればいいんだ」という1つの指針なんです。

コロナでリモートが広がって、人と会うという行為もデジタル化されたような気がします。情報の伝達だけならそれで済むのでしょうが、途中で触れた身体の持つ情報はごっそり抜け落ちていますよね。本当にその人が信頼できるかとか、そういうのは画面越しに首から上の映像だけでは判断できないと思いますよね。なかなか人と会えなくなったからこそ、そうした身体情報を伴った「対面」の価値は以前よりも高くなった気がします。

いろんなことを話してきましたが、簡単にいってしまえば人が人と「もっと仲良くなりたい」と思ったときに使われ続けてきたのがお茶なんです。権力者の状況や時代の流れで形式は変わっても、そこが本質かなと。相手のために準備をするのもそう。向かい合わずに、みんなで同じ方向を見て、同じものを見て感想を言うのもそう。人が、人と仲良くするために作り上げてきたものなので、そのためのノウハウも入っているんだと思うんですよね。

田中仙堂氏と、聞き手柴沼俊一

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