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ガガの靴は、花魁の高下駄を「現代」につなげたもの。時代と共鳴するプロセスこそが創造活動

舘鼻 則孝 x Future Society 22 

今回の対談のお相手は、アーティスト舘鼻 則孝氏。東京藝術大学卒業と同時にレディー・ガガのシューデザインを任されたことから、一躍世界の舞台に躍り出ると、ファッションブランド「NORITAKA TATEHANA」からキャリアをスタートさせ、現在ではアーティストとして日本、海外で作品を発表し続ける。独自の世界感、高いクオリティを求め、最先端のデジタルテクノロジーや日本の伝統技術も自在に使う。ファッションとアート。先端テクノロジーと伝統工芸。日本と海外。過去と現代――。「枠」を超え自由に行き来するアーティストには未来の社会(Future Society) がどう見えているのだろうか。

                   

(聞き手:柴沼 俊一・内山 その / 構成:Future Society 22)

Title Photo: Courtesy of NORITAKA TATEHANA.

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1985年生まれ。2010年東京藝術大学美術学部工芸科染織専攻を卒業後、同年にファッションブランド「NORITAKA TATEHANA」を設立。「イメージメーカー展」、「Future Beauty」、個展「舘鼻則孝 呪力の美学」「CAMELLIA FIELDS」などで作品を発表。2016年3月、パリのカルティエ現代美術財団で文楽公演を開催。アーティストとしての活動を続けている。

――今日は、舘鼻さんに現代と未来の話をしに来ました。舘鼻さんは2010年に大学卒業と同時に、ファッションブランドを設立。自らの作品「ヒールレスシューズ」の写真を世界の有名スタイリストたちに発信し、それを機にレディー・ガガのシューデザイナーとなりました。その後、アーティストとしての作品も発表。ファッション業界、アート業界を行き来しながら活動を続けています。

自分の求める世界を実現するため、先端テクノロジーから伝統工芸まで自由に取り入れ、情報発信の仕方も既存の枠にとらわれていません。どうしてそんなことができるのか。いま何を見て、何を感じて活動をしているのでしょう。

  

人生のスタートはなるべく高い位置から始めたかった

舘鼻:高校時代はファッションデザイナーになりたいと思っていたんです。パリコレクションとかにも出てみたいと憧れていました。ただ、世界でやっていけるデザイナーになるためにはアイデンティティが必要です。自分は日本人なので、日本のことをもっと学ぼうと、大学では絵画や彫刻のほか染織を勉強し、友禅染を用いた着物や下駄をつくったりしていました。

 

当時の僕の頭の中を占めていたのは「自分」のことです。西洋の先端ファッションだろうが、日本の着物だろうが「自分がかっこいいものをつくりたい」「自分が好きなことをしたい」という気持ちでいっぱいだった。

――日本の業界にはいかずいきなり海外に出たのはどうしてですか。

舘鼻:僕は「人生のスタート」を意識していました。大学の卒業は1つの「人生のスタート地点」。どうせ人生を始めるなら高い場所から始めたい。高いポジションからスタートできれば、それだけ早く世の中を知れると思っていた。だったら、日本で模索するより海外だろうと。

 

そこで自分の作品「ヒールレスシューズ」を、世界の有名スタイリストやメディアなどに100通くらい送ったのです。幸いガガさんの目にもとまり、大学卒業の翌月からは彼女のシューデザイナーとしての仕事が始まったんです。

――とても早い段階で「有名人」「公人」になってしまった。

舘鼻:そう。そうなるとどうなるかというと、自分のことがどうでもよくなってくるんですよ。学生時代はひとりだったこともあって「自分のこと」ばかり。これをやりたいあれをやりたいということばかり考えていたのに、次第に周囲の環境や業界など、考える単位が変わったような気がしています。いまは、日本や日本文化のこと、世界のことを考えています。

僕がいま取り組んでいるプロジェクトや創作活動の中で、「自分だけがやりたい」と思っていることはほとんどありません。いまこの時代にやるべきことは何かと考えてでてきたものばかりになってきています。

 

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Photo: Courtesy of NORITAKA TATEHANA.

    

古いままの日本文化を「現代」や「未来」につなげるものに再定義する

――「いまやるべきこと」とは。

舘鼻:日本の文化を現代につなげ、未来につなげることです。明治維新前後、日本には西洋化の波がやってきました。その後、何が起きたかといえば、「日本の文化」が置き去りにされた。僕たち現代の日本人が「日本文化」といわれて思い浮かべるものって、古いものばかりですよね?「着物」も時代に取り残されている。ほとんどの日本独自のものって「過去」に放置されたままなんです。

日本は、本当は海外の文化を取り入れながらも独自の文化を育んできた歴史があります。であれば、過去に置き去りにされたままの「日本」が「現代」まで育っていたらどうなるだろうか。僕は、そんな置き去りにされた文化を現代、未来に続くものとして再定義したいんです。そうして生まれでてきたものが、世界にも、先端のファッション、アートでも十分に通じることをみせたいのです。

 

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Courtesy of NORITAKA TATEHANA, Photo by GION.

 

――舘鼻さんの代表作「ヒールレスシューズ」も花魁の高下駄が「現代」とつながり、さらに「先端のファッション」になったものですよね。世界の美術館に展示されるようになったのもそれが評価されたから。「日本の文化」も現代につながるように定義すれば、十分に通じるということですね。

ファッション、アートとはまったく違う分野の話になりますが、「マネジメント」の分野でも、同じようなことを感じています。高度成長期が終わり、長的な経済の停滞が続く中、日本的経営は古いと言われ続けていました。「欧米MBA的な経営と比べ、個人のリーダーシップも弱い、もっとアグレッシブに競争させる仕組みを敷くべきだ」と言うわけです。

ところが、先端を走っていたはずの欧米企業、特に西海岸から出てくるものが変わってきました。例えばGoogleが採用した「マインドフルネス」。マインドフルネスとは働く社員の心の持ち様を安定的に維持するためのセルフケアの方法。これ、一見メソッドとして新しく見えるんですが、もともとは日本文化の土壌にあるアプローチなんです。また、マーケットでの競争戦略でも、やみくもに競争に勝ちに行くのではなく、「100あれば90ぐらいに留め、10はほかの競争相手のために残しておく」といった発想が新しいと言われはじめたり。

これも、日本に昔からある「共生」の感覚です。それを改めて新しいとか、先端的なメソッドとか言われると、そうかなと思ってしまいますが、実は自分たちの中にもともとある。

舘鼻:そうなんです。フランス料理も懐石料理や日本の庭園の空間演出のアイデアを取り入れてきましたよね。そうした料理を見た日本人がマネをしだすのがダサい(笑)。

 

アーティストは自己探求を通じて社会にアクセスする

――すでに活動拠点が「世界」にある舘鼻さんが、日本文化や日本にこだわる理由はなんですか。

舘鼻:自分が選んだものには、なんらかの理由があります。しかし僕が日本で生まれ、「日本人」であることだけは自分で選んでいない。つまり、理由がない。だからこそ必然性を感じ、なぜだろうという強烈な興味があります。

 

アーティストは、自己探求をとおして時代という現代社会にアクセスとすることが必要なんです。そのようなことからもアイデンティティは、とても重要な要素です。その人がどのような背景に生まれ育ったか、また今の時代に何を感じているのか。アートというのは、作家と社会との関係性を示すものになるべきなんですね。

 

もっとも、日本人アーティストでこう考える人は少なくて、結構みんな自分だけの殻に閉じこもってしまって社会との接点が少ない。好きなことだけをしているように見えてしまう人が多いのがもったいないですね。

――世界の極東にある日本は、世界各地で生まれた文化が最後に辿り着く場所と言われています。この極東の地に多様な文化がどんどん取り込まれてきました。その「混とん」とした文化を取り入れてきた歴史の中で、オリジナル文化として生み出されたものが「空」だったというのは非常に示唆に富む事実だと思います。

舘鼻:そうなんです。日本は、まるでなんでも吸い込むブラックホールみたいなんですよ。だからこそ、自分は日本人であることの追求にかき立てられているのかもしれません。

 

 

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Courtesy of NORITAKA TATEHANA, Photo by GION.

 

パーパスをもつだけでは本当にやりたいことはできない

――話は変わりますが、Facebookのザッカーバーグが「これからの若者たちはみなPurposeをもっていきよ」とのメッセージを発信しています。これは、目的を持ち続けることが難しい時代だからこそのメッセージだとの見方もあるんですが、舘鼻さんはどう思いますか?舘鼻さんのように「世界的なアーティストになりたい」と思って、大海に飛び込んでいる後輩たちが増えていると思いますか。

舘鼻:うーん、そもそも皆さん世界に出たいと思っているのでしょうか。有名なファッションデザイナーになりたいとか、世界で活躍できる芸術家になると言っている人たちが増えている感覚は僕の周りをみる限りありません。

実は、創作的活動だけで言えば、いまの世の中は恵まれています。皆さん「不満がない」「困ってない」んだと思うんですね。自分の作品を発表する場はいくらでもあるからです。問題はアートで喰っていけるか、経済的に成り立つかということです。日本ではアート市場はとても小さい。もっとも誰もがアートでは喰えないならばいいのですが、中には「成功している」人もいます。だからこそ、「どうすればできるだろうか」とみんなもんもんと悩むんです。

――舘鼻さんは経済的にも成り立っていますよね。どうして舘鼻さんにはできたんですか。

舘鼻:それは、僕が「自分だけがしたいこと」をしていないからです。先ほども言いましたように今はスタッフやお客さん日本のために活動しています。アートの世界で、好きな絵を描いて喰えるのは巨匠だけなんです。僕が好きな絵だけを描いていたらここにはいません(笑)。その意味でいえば僕は「職業がアーティスト」「プロのアーティスト」なんだと思っています。

 

より原始的なもの、精神的なものが評価されるようになる

――今後、多くの仕事がデジタルなものに置き換わっていく未来が予想されています。人工知能やロボットに置き換わっていくほど、「人間」だけができること、共感、共鳴することへの価値が高まっていくのではないかと思っています。創作活動はまさに人間にしかできないものだと思っていますが、今後、アート市場はどうなっていくと思いますか。

舘鼻:いまの米国主導のアート経済、アート市場は成熟しきっています。いずれ終焉していくでしょう。そして、市場はもっと原始的なもの、精神的なものを着目し評価する時代がくるのではないかと思っています。

僕は古美術に興味があり、街で平安時代の仏像なんかを買ったりすることがあります。そうした古い仏像もいまは芸術的な価値が重視され、拙いものだと市場価値が低いんです。でも、芸術的な斬新さがなく拙いものであったとしても「1000年以上前の人が木を彫って像を残した」ことは興味深いし、信仰心の表れですよね。1000年以上も残っていること自体が奇跡みたいなものだと思うんです。そうした原始的な衝動であり、残っている奇跡みたいなものに対してみんなが「楽しむ」ようになっていくと思います。

 

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Courtesy of NORITAKA TATEHANA, Photo by GION.

     

作品ありき、ではない。創作活動はそのプロセスがすべて

――舘鼻さんは、自分のカラダをスキャンして、自分の骸骨の彫刻を作ったり、自分の心臓を全く別の素材で作った作品などを発表しています。その時、CTスキャンや3Dプリンターなどの先端技術の一方で、日本の伝統技術も取り入れています。最初から、先端的な技術と古い技術を使おうと思って作品を考えていたのですか。

舘鼻:「生と死」は誰しもが関心をもっている根源的なテーマです。僕が死んだらどうなるか?興味があるんですが、その姿を自分で観ることはできません。それでも自分で自分の死んだ姿を見るにはどうすればいいのかと考えました。

そこで辿り着いたのが医療用のCTスキャンだったり、3Dプリンターだったわけです。活動をしていたのは2011年から2015年です。その時点で、自分が求めるクオリティを満たす技術が「たまたま」先端技術だったということです。そして自分の求める品質を追求するために、結局、日本の伝統工芸士の技術もあわせて使ったことになったのが面白かったですね。

僕は、このタイミングで「これはやるべき」と思うことにはなんらかの理由があると思っているんです。創作活動って「やろう」と思って取り組むプロセスこそがすべて。その過程の中で、結果的に「作品」として残るものもあれば、そのまま形にならずに消えてしまうものあります。だから、最初から「作品」ありきで取り組んでいることは少ないですね。

時代時代で「やるべきもの」「技術的にできるもの」が変化していくのも当たり前ですし、その変化していく過程も残していきます。その瞬間瞬間のセルフポートレート的なものが、アートになっていくんだと思っています。

 

死んだあとに何かを残すことは考えない。時代と共鳴して、まずは動くこと

――2045年頃、舘鼻さんが今(2017年)を振り返った時、自分の中で何が変わったと思うでしょうか。

舘鼻:2017年を機に僕は「人生」を捉えるスパンが変わったなと振り返るかもしれません。僕は常に「死ぬ」ことをゴールとして考えています。最後にどんな大技を決めてどうやって死に着地するのかを意識しています。

ちょっと前までは「シャネル」などのファッションブランドのように、僕が死んだ後も「TATEHANA」としてのブランドが残り続けることを考えていました。時代がどう変化しようとも残る価値に興味があったんです。でも、今は時代と共鳴する「一作家」でありたいと考えています。それこそ「自分が死んだら、その時代が終わる」「自分が生まれて死んだ時までを舘鼻の時代」と評価されるぐらい時代と共鳴しながら活動していきたい。

――私たちFuture Society 22では、2017年は目先の目標、最終的なアウトプットを決めず、時代に反応しながら関心の赴くまま動いてきました。経済という枠組みだけでは繋がることがなかった人と繋がることができましたし、その結果、新しいものが生まれる可能性があることもいま感じています。先ほどアートでは「プロセス」が大事だとおっしゃっていましたが、その言葉は我々の活動にも何か通じるものを感じています。

舘鼻:ええ、まずは「動けばいい」んです。その時代にやりたいことに意味があり、なんらかの作品を残すことが目的ではありません。時代と共鳴し続けていくプロセスそのものが創作なんです。

  

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Courtesy of NORITAKA TATEHANA, Photo by GION.

※このブログは「Future Society 22」によって運営されています。「Future Society 22」は、デジタル化の先にある「来るべき未来社会」を考えるイニシアチブです。詳細は以下をご確認ください。

Future Society 22 ウェブサイトhttp://www.future-society22.org