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ア-トの本質は「自由」。短期的な視点にとらわれず、未来を観る

(聞き手:柴沼俊一 / 構成:Future Society 22)

DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューで、ア-ティスト・谷澤邦彦氏が登場した2年間にわたる連載「リ-ダ-は描く」は、ユニ-クな企画だった。著名な経営者たちが自分の思い描くビジョンを絵に描き、そして語るという趣向。「絵は苦手」「描きたくない」と嫌がるトップたちが、数時間後には楽しそうに指先にパステルをつけ、自由に絵を描いていたのが印象的。絵を描くプロセス通じて彼らの想いが生々しく伝わる記事となっていた。ア-トとビジネスという組み合わせは、我々が考えている以上に可能性を秘めている。「ア-トの本質は自由であること」と谷澤氏は言う。いま目の前で起きている現象にとらわれず、中長期の視点で世界をみるにはどうすればいいのだろう。ア-ティストの眼には未来はどう映っているのか。

(Future Society 22)

谷澤邦彦(やざわくにひこ)

アーティスト

株式会社ホワイトシップ 共同創業者

NPO法人インスティテュート・オブ・コミュニケーション・アート 代表理事

東京をベースとして活動しているアーティスト。1962年静岡生まれ。文化服装学院を卒業後、同校の講師(1985~1990年)として指導に当たる。国内での数々のファッションデザイン・コンテストで受賞。 武蔵野美術大学空間演出デザイン学部の非常勤講師(1989~2006年)も務め、ディスプレイデザインや舞台美術などの空間演出デザインに携わる。1994年より幅広くアート活動を行う。通常の作品制作の他、長期に渡る参加型アートプロジェクトやアートを通じたラーニング・プログラムEGAKUを立ち上げ実施する。EGAKUは自己表現の楽しさのみならず、創造性を回復する効果、他者を理解するきっかけとしても役立つプログラムとして、ビジネスシーンでの導入も盛んになってきた。その取り組みはDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの本誌およびWEB版(http://www.dhbr.net/category/pastel)でも連載された。

谷澤のアーティストビデオはこちら(http://www.kunihikoyazawa.com/jp/top.html

制作に取り組む谷澤

 

ア-トのちからをビジネスシ-ンに利用

――僕(=柴沼)、最近時間があると美術館に行くんです。絵を観ていると現代の慌ただしい生活から一旦離れることができ、絵を観ている間は「時間が止まっている」感覚があるんです。それが面白い。遅ればせながら、ア-トの効果がちょっと分かった気がします。それもあり、今日、クニさん(=谷澤邦彦)に会ったらまず懺悔しなければ、と思って来ました

谷澤:え、ナニ?(笑)

――クニさんとはかれこれ10年のお付き合いになりますね。個人のア-ティスト活動と並行して、参加型プログラム「EGAKU」の活動にも取り組んでいます。子供や大人たちに「創作と鑑賞の楽しみ方」を伝え、「絵が苦手」と言う人たちさえも、一度参加すれば、絵を描く意味や楽しさを理解する、そんな魅力的な活動ですよね。

谷澤:EGAKUではパステルを画材に、指をつかって描いてもらいます。絵はそもそも上手下手じゃないからね。表現する楽しさや、自分で答えを創り出してもいいんだということを体験する時間になればと思っている。

――このアートのちからを「ビジネスシ-ンでも」という場面も広がってますよね。企業トップやリーダーのビジョンを経営幹部同士や社員と共有したり、主体的に動ける人財育成やチ-ムを構築するときの手法にもEGAKUを活用している。すでに10年近く前から各社に評価されていたし、感覚的には最初から有効だって分かっていたにも関わらず、僕の中ではロジカルにその理由をずっと説明できなかったんです。「なんで、ア-トなんだろう」って。すみません。これは懺悔するしかないなと。(笑)

谷澤:あはは。なるほど。まあでも、10人いれば10通りの感じ方があるし、活用方法もさまざまだからね。そしてそもそも、ロジカルに正しく説明することが難しいのがアートの魅力だしね(笑)。

 

「表現する自由」に人間のパワーが宿る

――でも、いまこうして懺悔できるのも、僕なりに少し理解できたかなと思うからなんです。人間って、行動と長期記憶と感情がセットで整理されている。だから、たとえば何か新しいことに挑戦して失敗した。そこで怒られるとイヤな記憶が残る。だから、失敗するような挑戦はもうしたくない。人間の行動ってこうして決まっていく。でもこうした記憶と行動、それに結びつく感情も、未来に向けてセットでリフレームすることができるのが、アートのちからなんだな、とわかってきたんです。そこで、今日、まずお伺いしたかったこと。ア-トのちからを使うとき、クニさんは参加者たちの絵を本当によく褒めますよね。あれってなぜですか。

谷澤:ア-トって正解がないでしょ。学校の教科でも美術や図工には本来は正解がないんだよね。自由がいいし、表現したものはみんな正しい。この自由であるということがア-トの本質なんです。だから、正しくは、僕は「褒めている」わけじゃない。「鑑賞」しているんです。その絵から感じ取り、受け取ったものを、素直に言葉で表現しているだけ。でも、それが褒めているように聞こえる、ということは、どの絵も個性にあふれ、魅力的だということなんですよ。ところが、みんな正解がない自由な世界に慣れてないので、「これでいいのか」「正解はなんだろう」と困惑したり、萎縮してしまう。これでは本来その人が持っている個性やパワーが出てこないよね。

――素直に表現し、それを素直に鑑賞し合うことで、やっと「あ、自分らしく表現していいんだ」「正しい答えはひとつではないんだ」と思えるようになる。自分の意志(WILL)を伝えるのが圧倒的に苦手な日本のビジネスパ-ソンたちにとってア-トほど適切なものはないなと。

谷澤:ア-トには2つの楽しみ方「創作」と「鑑賞」があるんですよ。創作することですっきりしたり、逆に悩んだりするんだけど、自分の作品制作を通じて、自己表現や自己主張ができる。もう1つが鑑賞。鑑賞では自分の感じ方を知ったり、さまざまな感じ方があることを知って楽しむことができます。そして自分の作品も鑑賞して自分の内面に気づいたり、他人の作品から、その人の想いや感性、意外な素顔を感じ取ることもできます。EGAKUの場では、感じたことをそのまま表現する自由がある。確かに、時代時代にア-トに求められる役割があるのだけど、そうしたアートのあり方さえも自分たちで自由に変えることができると思うんだよね。

EGAKUの時にも、参加者に説明するのだけど、人間って3万年以上も前から絵を描き続けているんですよね。それも一度も途切れることなく。戦争があろうが、社会が混乱しようが、常に変化しながら脈々と続いてきた。すごいよね。それってなぜなんだろう?絵を描く意味ってなんだろう?これが僕の一番の興味であり、活動の原点でもあります。

「描く」ワークショップ、互いの絵を鑑賞し合う

アートって、個人の表現だけにとどまっているものも少なくないんです。そして、表現活動の結果として、アーティスト個人が有名になったり、作品の値段が上がる。それもアートのひとつの形だと思うし、ぜんぜん否定することではないと思う。でも僕の興味は「なぜ人は絵を描くのか」と「現代社会におけるアートの役割」この2つにあるので、EGAKUのような参加型プロジェクトは、とても大事な活動なんです。手前味噌になっちゃうけど、これだけアートを広角的に、そして深くとらえる活動はユニークだと思うよ。DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューでの連載『リ-ダ-は描く』なんかもとても刺激的な取り組みだったし、他にもさまざまな地道な活動を続けてきたことで、多くの人が共感してくれて、周りの期待もますます高まってきているように感じてる。

 

「人工知能が人間の能力を超え、ロボットが仕事を奪う」時代

――時代がどう変わろうとも、ア-トが途切れることなく存在しているというのが面白いですよね。そこで今日聞きたかったのが、「今後の社会はどうなるか」です。いま、社会のデジタル化がすごい勢いで進んでいます。未来の予測では技術的特異点、シンギュラリティ(Singularity)は無視できません。人工知能が人間の能力を超えることで、結果的に「AIロボットが人間の仕事を奪う」との見方をする人たちも少なくありません。こうした状況に対するバランスをとるため、企業も個人も「アンコンシャスな世界」を求めはじめているようにみえます。クニさんはどう思いますか。

谷澤:まず、デジタルの勢いが止まることはないでしょう。その中で、今後も、人が人であり続けるかどうか…。まったく違う「進化」をするかもしれないよね。

――例えばスマホってこれほど便利なものはないんですが、人間にとってこれほどやっかいな機械もないと思うんです。小さな画面には大量な情報が流れている。人はせっせと反応したり、シェアしたりしている。でも、これって、人間がネットワ-クの中継地点、ノ-ドになっちゃっているだけで、実は何も考えない、何も生産しなくてもそれなりに1日過ごせちゃうわけです。だから、「考える」こと自体がだんだん難しくなっている。もしかしたら「考えなくてもいい時代」がくるかもしれないですよね。

谷澤:「逆にAI、ロボットが人間よりも優秀ならば、もうロボットたちに働いてもらって、人間はより深く自由に考えを巡らし、創造的で心豊かな生活を追求していく」という未来像もある。

――古代ロ-マ市民のように「食や芸術を楽しみ、戦争の責任だけは負う」社会か、はたまたべ-シックインカムが導入され、最低限の生活保障だけはされる世界か。

谷澤:そんな社会では、おカネ以外の経済が導入されている可能性があると思うんだよね。仮にAIが働いてくれる社会になったなら、労働やサ-ビスの対価が「おカネ」以外のものであってもいい。例えば、「感謝される」とかであってもいいし…、また「労働」自体がアクティビティになるかもしれない。選択肢はいろいろ出てくるんじゃないかな。

「考えることなく過ごせる」世界では新しい人間が生まれる?

――確かに、先ほどの「考えることが難しい時代」についても、人間が単にノ-ドになるとすればデストピアっぽいんですが、人間がAIという新しい記憶装置を得たとすれば、進化になるかも。最近読んだ、能楽師の安田登さんが本(http://amzn.to/2wtllKY)でこんなことを書いているんです。「人間が『言葉』を発見したことで、多くのことを覚えずにすむようになり、その結果、ココロという概念を得た」と。僕らがAIを得たお陰で、いまの我々の言う「考えている」とは違う、別の「考えている」とか「感じる」ことがでてくるんでしょうね。

 

FS22で何度も紹介している『ホモ・サピエンス全史』(http://amzn.to/2inkOno)のユヴァル・ノア・ハラリは「この世界は、物理法則、化学法則、生物法則以外は、人間が作り出した虚構である」と指摘していましたが、私たちは新しい虚構をつくりあげ、未来にアジャストしていくんでしょうか。

谷澤:今は端境期なんだろうね。先が見えている部分もあれば、旧態依然のままの世界もある。だから混とんとしているんだろうけど、おそらく子どもたちは直感的にもう察知していると思うよ。今とは違った社会の姿を。

 

中長期的には変化を予想しながらも、短期的には既存の枠で生活する苦しさ

――問題はそんな大胆な変化がいつやってくるか感じながらも、いまは現在のフレーム、価値観の中で動かざるをえないんですよね。子供の教育だって、中高校、大学ときて新卒で企業に入社する。そんな日本だけのフレ-ムなんて変わるだろうし、いずれ違った社会が生まれるんだろうなとは皆、感じてはいる。

谷澤:そもそも義務教育が続くかどうか。効率的な教育テクノロジーの進化でもっと短縮されているかもしれないし、子供の養育を親だけに任せるのではなく、地域コミュニティみんなで育てる考え方だってある。

――変わっているだろうなと理解しつつも、家に帰れば子供たちに「宿題をしなさい」とか「勉強しろ」と言わないといけない(笑)。このギャップがタイヘン。いつ変わるのか…。

谷澤:だんだん柴沼さんの悩み相談になっている気がする(笑)いつ変わるのか、というより、すでに社会は変わってきていると思うよ。ただ全員が同時に新しい社会に入るわけではないんだと思う。それを実感したのは大きな事件があったとき。リーマンショックもそうだし、3・11の時もそう。「自分が信じているフレ-ムはあっけなくなくなる」ものだし、「自分の常識はみなの常識ではない」し、「すでに常識は過去のものになっているかもしれない」。そして、「既に次世代に適応したコミュニティで生活している人たちもいる」ということだと思うんです。その前提に立って、結局は1人ひとりが今あるフレ-ムをリフレ-ムできるだけの筋力を鍛えて生きていくしかないんでしょうね…。

――突然、大きな変化に巻き込まれるのもタイヘンです…。

谷澤:既存のフレ-ムの中にいるのは安心なんだよね。逆に変わるのは不安。でも変われることが自由でもあるんだよね。自由と不安は決して切り離すことはできない。だから不安を感じられている間は健全。柴沼さんはまだまだ大丈夫ですよ。(笑)

 

※このブログは「Future Society 22」によって運営されています。「Future Society 22」は、デジタル化の先にある「来るべき未来社会」を考えるイニシアチブです。詳細は以下をご確認ください。
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