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Future Societyを考える時がきた

Future Society 22 幹事 柴沼俊一

「Future Society」

究極のデジタル化の先にある「限界費用ゼロ社会」が、リアリティをもって姿を現した。あらゆるものが自動化されて、無料あるいはそれに近い低価格になり、個人生活の利便性や事業運営の効率性が劇的に向上する一方、それを実現するAIとロボットに労働がとってかわられて雇用がなくなる、という、厳しい現実が迫る。

徹底的なグローバル化とデジタル化を追求する企業にとっては、数年で数兆円の企業価値を実現するような異次元の成長も夢ではなくなったが、その裏で資産と所得の格差はますます如実になった。格差はこれまで企業の収益の源泉だった中間所得層を消滅させつつある。一方、そんな危機感を感じとった中間所得層は、グローバリズムに激しく反旗を翻し始めた。そしてイギリスのEU離脱、トランプ大統領の出現に代表される先進国の「内向き現象」の結果、世界の重心はとうとう見えなくなり、市場の先行きはまったく読めなくなった。

グローバル化とデジタル化の「作用」と「反作用」のループが生み出したこれら現象の連鎖は、もはや止められない。2016年に各国で「NO」を突き付けられたグローバリズムは、時代の主役から消えていくことになったとしても、デジタル化は確実にその勢いを増していくからだ。人間は、有権者としては雇用喪失に対して抗議の声をあげても、消費者の立場にたてば、一度手にしたスマートフォンをもはや手放すことはできない。つまり、私たちは、反作用コントロールするのではなく、それ自体をデファクトとして、これからの社会のあり方を考えることが迫られている。まさしく「Future Society」の構築だ。

そこで、2017年を語る前に、歴史の中での今をどうとらえ、何を前提にしなければければいけないか、という視点から始めたい。

「民主主義+資本主義」の崩壊

これまで世界の統制に強力な影響力を発揮してきた先進諸国とその社会は、多数決の論理と社会契約によって担保される「民主主義」と、個人主義と市場主義の組み合わせによって機能する「資本主義」を前提に成長を続け、国内外の秩序を保ってきた。この主義に一致しない国家や地域は、ある種「未成熟な世界」と区別され、扱われた。

しかし、その先進国において、「勝ち組」と「負け組」の存在が顕著になり、所得・資産の格差が悪化。加えて、ドイツ移民政策や米国TPP政策といったエリート政策が展開されるにつれ、もはや「自分を委ねられる社会契約は存在しない」という悲観的な認識がジワジワと人々の間に拡がった。肥大化した資本主義の反作用を受けた人々は、雇用、給料、社会保障など、「自分の身近な問題」をまず解決してくれる主張に賛同するようになる。そして唯一残された「多数決の論理」が行使された結果、イギリスのEU離脱が決まり、トランプ大統領が誕生した。

この二つの出来事は、中間所得層による反グローバリズムの象徴とも言われているが、その背景を紐解けば、民主主義と資本主義の両輪のバランスが崩れていること、もはやその上に社会の均衡がないことがわかる。そしてこの流れは、今後他国にも広がっていくだろう。

消えてなくなる自由貿易体制

企業のグローバル化は、どこの国・地域でも基本的にコストゼロで事業が展開できる、という自由貿易体制の存在を前提としていた。そして、それを実質的に支えていたのは、世界の秩序に目を光らせる米国の存在だった。しかし今、米国民の多くは「他の国などどうでもよい。そんなことをしている余裕があるなら、国内を、私をなんとかせよ」と声を上げている。

世界警察の座から降りた米国が、各地域の大国に周辺地域を任せ始めている、という話は昨年もしたが、この傾向はトランプ大統領になってさらに顕著になる。すでにロシアのウクライナ進出、中東のシリア問題など、個別の事情をはらんだ地域紛争が悪化しているが、中国、ロシア、イスラム諸国などの、いわゆる従来の欧米先進国とは異なる経済社会メカニズムが、本格的に台頭してくる。

中国は共産党支配を通じた、いわゆる「国家寡占資本主義」モデルを実践し、イスラム諸国は経済利益よりも宗教を優先する。いずれも、これまで常識とされてきた「民主主義と資本主義のセットモデル」ではない。主義、制度、商慣習、すべてが異なる、そんな多様化した経済圏をまたいで、企業は戦っていかなければならなくなる。

限界費用ゼロ社会の本格的な到来

グローバル化が減速する一方で、デジタル化はますます加速し、限界費用ゼロ社会になることは間違いない。2016年、AIやロボットが人間から雇用を奪う、という話が半ばストーリー仕立てでメディアでも騒がれたが、これは抗うことのできない事実だ。

アマゾンは、配送センターをキバ・システムに変え、ホンハイは労働者を多肢型ロボットに置き換えた。先日発表されたリアル店舗のAmazon GOでは、映像認識技術とAIを組み合わせて、レジのない店舗を実現しようとしている。仕事がなくなるのは確かに怖い、だが消費者でもある私たちは、日々の生活の中ですでにこれらサービスの恩恵を享受し、レジのないスーパーのオープンを期待している。それが現実だ。

だが、これまでの社会は、自らの成長、あるいは経済的豊かさの実現にモチベーションを感じたり、家族を養うことに生きがいを感じたりする個人の頑張りで豊かさを実現してきた。既存の仕事の70%はなくなると言われる社会において、本当に、「人間として満ち足りた生活を実現し、個人の自己実現と社会の安定性を保つこと」は可能なのだろうか。

ベーシック・インカムとベーシック・サービスで支えられる社会

この問いに対する現実的な解として、ベーシック・インカムの導入は議論が進むだろう。具体的には、既存の社会保障支出をベーシッインカムに置き換えること。そして、マイナンバーで、衣食住に関する基礎支出と紐づけて、負の所得税といわれる給付付き税額控除を可能にする。当然、人間の手先を使う仕事などは今後も必要だし、個人が自らのペルソナ情報、ヘルス情報などを売ったりすることで、人間は何らか対価を得ることは出来るかもしれない。だが、これは現在の所得の比較でみれば、ほんの一部の特殊な領域にすぎない。

なお、ベーシック・インカムと並んで大事なのが、高品質・低単価なベーシック・サービスが公平に提供されていることだ。ここで言うサービスとは、公共サービスではなく、限界費用ゼロで提供されるコミュニケーション、エネルギー、輸送・ロジスティクス、金融サービスだ。すでにグーグルやフェイスブックなどがコミュニケーション領域においてはサービスを確立済み。エネルギーも、イーロン・マスクが太陽光発電、ギガファクトリーの蓄電を、電気自動車のテスラモーターズとセットで構築中だ。輸送もデータとAIで最適な経路算出が可能だし、自動走行も導入される。3Dプリンターの進化で、データと材料さえ送れば、製品をどこでも作れる「Make or Delivery」が主流になる日も早晩くるだろう。エッジコンピューティング、ブロックチェーン、ビットコインなども、限界費用ゼロ社会を支える金融のベーシック・サービスとして定着していく。

トマス・ピケティは、そもそも論として資産格差、所得格差をなくすことで問題を解決しようと論じているが、現実的なハードルはそちらの方が高いだろう。もちろん、経済的に余裕がある人々は、プレミアムなサービスや商品を引き続き購入するだろうが、現時点での「所得の格差」ほど、人間としての「豊かさの格差」は生まれない世界になっていくはずだ。

社会は、既存の価値観を捨てて新たな実験を開始する年に

冒頭にも述べたが、私たちは今、デジタル化の作用と、そこから生まれる反作用に対応して価値観、生活やルールを変えて、「Future Society」を作る局面に差し掛かっている。かつて封建主義が崩壊し、国民国家で構成される工業化社会が生まれたプロセスでも、人間は同じことに取り組んだ。産業革命のもたらす作用と反作用のはざまに、不安をおぼえたり抵抗したりしながら、社会を進化させ、それを確実に支えるものとして、民主主義と資本主義のセットがデファクトとして完成させたのだ。

今度は、私たちがそれを壊し、さらに次に向かおうとしている。ただ、唯一違うのは、転換に求められているスピード感だ。産業革命の時代は世紀をかけて社会を再構築したが、今この変化を引き起こしているのは、幾何級数的なスピードで進化するデジタルテクノロジーだ。限界費用ゼロの社会の到来を目前に控え、私たちは次世代には新たな社会の形を完成させていなければならないだろう。

たとえば、ベーシック・インカムの実証実験は、失業や移民問題が深刻な地域、たとえばフィンランドやフランスなどでは進んでいるが、実験を否決したスイスや、いまだ議論の緒にもついていない日本では、「ベーシック・インカムを得る人々が、優れたベーシック・サービスを手に入れてしまったら、彼らは働かなくなって、社会は豊かにならないのでは」と考える。日本では特に、「勤労は美徳」という概念が邪魔をする。これではまにあわない。もう後戻りできないことが確認できた今、2017年は、とにかくあらゆるボトルネックを排除しながら、新しい試みにチャレンジしていく年にしなければならない。

企業は、新しい社会に突入するにあたって、自社の経営スタイルを検討する年に

では企業の今後はどうか?現在、マーケットには3つの経営スタイルが存在していると私は考えている。「ヒエラルキー経営」「ホラクラシー経営」そして「エクスポネンシャル経営」だ。ヒエラルキー経営は、工業化社会に適した標準プロセスと仕組みで効率経営を目指すモデル。ホラクラシー経営は、多様な人財をプロジェクトベースで組み合わせ価値創造を目指すモデル。そして、エクスポネンシャル経営は、社会を変えるMTP(Massive Transformative Purpose)を掲げ、オンデマンドなスタッフとエコシステム構築、デジタルパワーの最大活用で、その実現を目指すモデルだ。

ヒエラルキー経営の企業は、AI、RPA化を余儀なくされ、社会のある一定の領域を担当はするものの、利益を求める株主と雇用を求める従業員の間から逃れることはできないだろう。一方、ホラクラシー経営の企業は、独自の価値で持続的成長を実現するために、創造性を追求することにチャレンジし続けなければならない。

エクスポネンシャル経営の企業は、最も新しい社会に適応性が高く、成長スピードも指数関数的にあがる可能性があるが、同業他社に負けたら終わり、という熾烈な競争環境で戦い続けなければならないだろう。限界費用ゼロ社会にはベーシック・インカムだけではなく、高品質・低単価なベーシック・サービスが必須だと述べたが、そのど真ん中を支えるのはエクスポネンシャル企業だ。彼らの存在に今後の私たちの命運はかかっているといってもよい。

そういう意味で、いずれの経営スタイルにおいても、企業経営者は社会に対する責任をどう果たすかを問われるようになる。いわゆるCSR、CSVといったレベルではなく、事業そのものが社会に対して直接的に貢献しないと事業として成り立たない時代になるだろう。利益を上げているかという対株主責任に加え、社会からなくなったら人々が困る価値を提供しているか?という問いかけが益々大事になってくる。

たとえば、グーグルやアマゾンがなくなったら、社会はどうなるか?と考えてみてほしい。エクスポネンシャル経営の企業が、MTPを掲げ、莫大な収益をあげながら世界を変える取組みをしている心は、正にここにあるのではないか。

音をたてて近づいてくる限界費用ゼロ社会で、自社はどんな価値を提供するのか? 2017年は、来るべき未来を見据えながら、ビジネスモデルの転換に向けて設計と投資を始める1年にしたい。

100年人生、一人ひとりはどう生きたいのか考える年に

そして、個人について。「Future Society」では、仕事がAI、ロボットに置き換わると同時に、時間と自由が手に入るようになる。経済的な豊さに大きな意味がなくなり、働き方も多様化。いわゆる「自分AI」で稼ぐことも、副業を持つのが普通になる。IoH、ゲノム技術が進み、予防医療により健康寿命も延びて、リンダ・グラットンの言うところの「100年人生」が現実のものとなる。

結局のところ「自分がどう生きたいか」を持たない人は、本当の意味での豊かな人生を送ることが出来なくなってしまうのだ。圧倒的なスピードで社会の価値観が転換していく中で、自らがどんな生活、どんな人生を送っていきたいのか、そのために今から始める事柄に着手しよう。

最後に。本質を見えにくくする、デジタルの罠について

大変長くなったが、最後に1つ。今回のイギリスの国民投票であれ、大統領選であれ、情報に対して慎重なはずの知識人のほとんどが、EU離脱、トランプ出現を現実に起こりうるのものとして予測できなかった。私もそうだったが、明らかに「気配」は感じていたにも関わらず、可能性は論じたものの真っ向から受け止められなかった。

これまで私たちは、社会の変化をおおそよ10年単位で年代化し、物事を捉えてきた。ここ20年は、「グローバル化」と、そこに重なる「デジタル化」がキーワードとなり、政治、社会、企業活動、個人生活に影響を及ぼすあらゆる現象を、その文脈の上でそれらしく解説してきたように思う。だが、最も本質的な「人の心」を見逃していた。

この背景の1つには、社会に組み込まれたデジタル・コミュニケーションの罠がある。自分が好む情報が自動的にレコメンドされるアルゴリズムが、デジタル社会にはすでにインストールされている。これは裏を返せば「見たくない情報は自動的に排除される仕組み」がインストールされている、ということだ。あたかも自分の目の前にあふれる情報が、社会の共通意思のように感じられるというのは、まさに本質を見誤ること以外の何物でもない。

自分に「レコメンドされていない」世界に社会の意思があり、そこに世界の重心が存在し得るということを、今回私たちは初めて目の当たりにした。そして、今、この瞬間、NewsPicksで本稿を読んでいる読者のみなさんも、私も例外ではない。

常に本質を見極めながら時代を見据え、意思決定し、行動していくためにはどうしたらよいのか。改めて自らの情報収集、思考、コミュニケーションのあり方についても考える年にしたいと思う。

 

 

※このブログは「Future Society 22」によって運営されています。「Future Society 22」は、デジタル化の先にある「来るべき未来社会」を考えるイニシアチブであり、柴沼俊一/瀬川明秀を中心に活動しております。詳細は以下をご確認ください。
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