サイトへ戻る

「今直面する変化の本質を改めて考える」

~2019年の始まりにあたって(代表幹事 / 柴沼俊一)

「シンギュラリティ」という言葉が、市民権を持ち始めました。人々はテクノロジーの進化に期待を膨らませる一方で、絶対的かのように思っていた人間の能力に不安を覚え始めています。2年前にFuture Society22の活動を始めたのは、このどこか不安定な局面において、様々な視点から物事を見て、過去を知り、今を見つめ、改めて明るい未来社会を描く活動をしたいと思ったからです。この2年間様々な各界のリーダーのみなさんと対談を重ねて、多くの気づきをいただきました。2019年を始めるにあたり、一度私なりに振り返っておきたいと思います。

   

300年、100年変化が同時に起きている

歴史に照らして今を見ると、300年サイクルでおきる変化と100年単位で起きる変化が、オーバーラップしながら同時発生している、という非常に珍しいタイミングだと思います。

まず、300年続いてきた工業社会・金融資本主義の流れが、デジタルを始めとするテクノロジーの進化により、21世紀に入って急速に「限界費用ゼロ社会+共感資本主義」にシフトしつつあることは、周知の事実となりました。

このような変化の中で、テクノロジーが人間を代替するのでは?という不安が蔓延っているわけですが、2017年度の様々な対談を通じてわかったことは、「テクノロジーが進んだとはいえ、まだまだ人間の神秘を解き明かすには至っていない。」ということです。テクノロジーはあくまでツールにすぎない、一部機能代替・補完はあるものの、ホリスティックな意味で人間を代替するには至らないという、ということが分かってきました。  

broken image

「権利義務関係性」からの脱却

そこで、2018年度は「そもそも人間とは何か」「未来社会として、どのような社会を“目指して”いくのか」という2つの論点を軸に対談を重ねてきました。一連の対談のリンク一覧は文末にご紹介しますが、以下はみなさんからお話を伺った中で、FS22が感じとったポイントの列挙です。

「人間の意志は、環境によって決められるアルゴリズム(受動意志)である。」

「人間の幸せは、与えられるものではなく、誰かにしてあげることで得られる。」

「人間の“心”とは、文字の発明というシンギュラリティによって生まれたものである。」

「人間の思考は、テクノロジー進化による身体拡張に伴って進化する。」

「人間の能力は、微分された世界を見つつ、原型を探す積分的な思考力である。」

「人間のWell Beingは、ヘドニア、フロー、ユーダイモニアから成り立つ。」

これらの視点は、単なる楽観主義とは一線を画す、まだ私たち自身が正しく理解できていない人間の可能性を、感じさせてくれるものでした。

現在の社会のあらゆる活動は、自由意志のもと、個人は生まれながらに有する又は付与される権利を持つ一方、社会的義務を負う、という権利義務関係性を前提に動いています。しかし考えてみれば、地域に大家族で暮らしていた「農業社会+重商主義」の時代には、個人の意志・権利・義務を明確に問われるまでもなく、シンプルな人間関係の中で十分に社会が成り立っていました。互いに知っているメンバーで構成される村落共同体、すなわち「有縁社会」が前提で、共同体が生きながらえるために共助・互助、互酬性が基本となり、信用が重視され、おすそ分け文化を土台とし、金銭授受がなくても生きていくことが可能でした。

つまり、権利義務関係性の考え方は、急速に進んだ「工業社会+金融資本主義」社会へのシフトの過程において、人間が知恵をしぼって創り出したものなのです。職業やライフスタイルの多様化が進む中で、近代化の波にのり地域を離れ都市に出て核家族化しても生活が成立できるように、また、そこで働く個人が工場での大量生産スケジュールにあわせて安定的に生産活動に専念できるようにひねりだされた、社会の仕組みだったとも言えます。そしてお互いに名前明かさなくても取引可能な「無縁社会」を成立させるために、お金の存在がクローズアップされ、大都市化の進行と共に金融資本主義が確立されいったのです。

ではこれからはどうか?対談を重ねる中で見えてきた人間の本質に立ち返るとするならば、私たちは互いのWell Beingを想像して高め合う価値観を社会活動の根源に設定して、未来に向けて行動様式、制度・ルールを、自ら変えていくのではないでしょうか。

 

楕円幻想論にみる、2つの主義のリバランス

ただし、ここで大事なのは、これまで時代がAからBにシフトしてきたかのように、今後「工業社会+金融資本主義」から「限界費用ゼロ社会+共感資本主義」にシフトする、という段階論は、本質的ではないということです。

「楕円幻想論」の著者、平川克美氏は、共感資本主義と金融資本主義は常に存在し、あたかも楕円の2つの焦点のように併存するのが社会の摂理である、と説きます。確かに、最近出版されたキングコング西野さんの「新世界」でも、信用・共感があれば、いつでもお金は調達できる世界が来たと言っています。正に共感資本主義と金融資本主義のリバランスが起き始めている、ということなのでしょう。

broken image

この社会変化は、様々なステークホルダーに意味合いを持ちます。企業においては、利益を上げることも大切な一方、社会に貢献しているかが、より重要になります。個人にとっては、お金を資産として蓄積することも必要ですが、信用・共感を積み重ねていくことの方がより重要になっていきます。そして、国家も、単にGDP成長を目指すのではなく、個人のWellbeingの総和が最大化されるような国家運営が大事になってきます。

 

戦後レジームの崩壊、「国家主権主義」の台頭

さて、大局についての見解を整理してみましたが、ではどうするかということを考えるにあたって現在を見ると、300年の変化と同時に100年単位の変化も同時に起きているため、私たちはかなりややこしい局面におかれています。

国境を扱う領域は、地政学(Geopolitics)と呼ばれます。実は、私達にとっては「国境」は馴染みが薄いものでした。1945年から1990年は“主義の時代”であり、国が民主主義陣営か、共産主義陣営かさえ分かれば、大概のことは整理することができたからです。さらにベルリンの壁が崩壊した1990年以降は、“経済の時代”と言われ、人件費・水道光熱費の安さ、インフラ整備度合いさえ分かれば国家の成熟度が判断できるとされ、地理的にどこにあるかはあまり議論されませんでした。

しかし米国が世界の警察の役割を自ら降りたことで、イアン・ブレマーが予測していたG0世界が出現しました。1914年から18年の第一次世界大戦時に、イギリス、フランスによってその多くが設定された世界の国境は、米国覇権が後退する中、地域大国によって周辺地域を巻き込んで徐々に塗り替えられ始めています。

また、第二次世界大戦後、米国はIMF・世銀(ドル基軸)、NATO(軍事)、WTO(貿易・資本)を基本的なレジームとし、1990年以降は新自由主義、新保守主義*2、グローバライゼーション*3を方針として掲げ、各国とWin-win関係を作る世界覇権主義のスタンスを採ってきました。

*新自由主義(ネオリベラル:ミルトン・フリードマンのような市場主義)

*2新保守主義(ネオコン:世界の平和に向け、武力を行使してでも民主と人権を輸出)

*3グローバライゼーション(大企業のGIE、SNE化を支援):GIE:Globally Integrated Enterprise、SNE:Supra National Enterprise

しかし、オバマ政権以来、米国の国力低下、格差の深刻化、エネルギーの対外依存低下などから、米国は世界の警察の役割から手を引きます。トランプ大統領になると、さらにAmerica Firstを標ぼう。ゼロサムゲームでは自国有利に強烈に持込む国家主権主義に変貌し、TPP・INFなどから早々に離脱しました。

これらが意味することは、1945年以降、世界が前提としてきた自由貿易体制がブロック経済化したということ、すなわち戦後レジームが事実上崖っぷちに立たされている、ということです。

 

価値観の共有を放棄し始めた世界

私たちを取り巻くもうひとつの本質的変化は、世界が「共通の価値観を持とうと努力する意志」を捨てたことです。

トランプ大統領の登場以降、「民主主義や人権を世界に浸透させるべき」という考え方は影を潜め、価値観、行動様式、ルール・制度は、環境・文化・歴史によって異なるのが当然、という考え方が世界を覆うようになりました。世界的にみても、所得・資産格差を背景に、中国、ロシア、メキシコ、ブラジル、フィリピン、トルコなどの国々で、国家主権主義的なトップが選出され、潮目が変わり始めました。

結果として、国家の意図する狙いによっては、人権がないがしろにされるケースも増えています。ファーウェイCFOの件、サウジアラビアのカショギ記者などの取扱いに対し、表だって批判的なコメントを出す国家政府が少なかったのは、わかりやすい現象でしょう。一方で、異なるコミュニティ間では、相手国文化に介入することなく、経済的取引をするだけに留まるという暗黙の了解が出来つつあります。しかし、経済的取引に影響を与える軍事的なパワーバランスを無視するわけにはいかないところが、さらに国家間の関係性をややこしくしています。

   

経営スタイルの大転換も起きている

この変化の中で、企業経営のあり方も大きく変わり始めました。グローバル企業は、これまで本社・工場・事業所を最適地に配置し、消費地に最適なサプライチェーンを組んでモノ・サービスを届けるというモデルを志向してきました。この方向性での進化を追求する過程の中で、MNC(Multinational Company)、GIE(Globally Integrated Enterprise)、TNC(Transnational Company)へと変貌し、遂にはSNC(Supra National Company)というべきレベルに達している企業もあります。

一方で、サプライチェーンの精緻化の路線ではなく、モノからコトへの対応を追求し、プラットフォーマーに転換を志向した企業は、GDL(Goods Dominant Logic)、SDL(Service Dominant Logic)、そしてDPF(Digital Platformer)へと進化しています。

broken image

しかし、ここでも先に述べた国家主権主義への転換が、じわじわと影響を及ぼし始めています。ブロック経済を志向する中で、地域大国はモノ・サービスを地産地消に近い形で提供することを求めていくでしょう。個人はテクノロジーの進展を受け、Trans human化していくのに対し、企業経営は地域ごとに経営判断を分ける必要が出てくるわけです。

また、対デジタル・プラットフォーマーという意味では、EUのデジタル課税のように、売上の一部を税金として徴収することを検討する国が出てきているほか、データ独占への競争制限の必要性を指摘する国も出始めました。また、ユーザーをデータ労働者と見做すことで、金銭での見返りを検討し始めるなど、所得再分配の必要性も今後議論の俎上に上がってくる可能性があります。企業経営のかじ取りと「国家主権主義」進行による影響は、切っても切り離せないものなりつつあるのです。

broken image

2019年、FS22は「新たな虚構を作ることについて」考えたい

300年、100年変化の真っ只中にいる今、Future Society 22は、2019年、未来社会に向けた「虚構(価値観、行動様式、制度・ルール)」をどう作っていくかについて、掘り下げていきたいと考えています。因みに、哲学者マルクス・ガブリエルは「虚構すら実在」と言っていますが、分かりやすくあえて私たちは「虚構」という言葉を使いたいと思います。

broken image

(作成:柴沼俊一)

特に、金融資本主義と共感資本主義を両立する社会はどうしたら実現できるのか、というところが大きな論点です。さらに日本では少子高齢化問題にも対応していく必要があり、国そのものをどう維持するか?というテーマも大きいかと思います。

現時点では、未来社会を考える上では、下記3つ方針が軸になるのではないかと考えていますので、ここでご紹介しておきます。

方針1:“ベーシックインカム”により“ベーシックサービス”を得られる状態を創る

ここで言うベーシックインカムは、別に制度・非制度を問わず、何らかの形で個人・コミュニティが得られる金銭的糧です。それに対し、ベーシックサービスとは、食糧・水・エネルギー・住居などの生きながらえるに必要なサービスを想定しています。従来のベーシックサービスは、人口が増加することを想定し、集中型投資を前提にしたものが大半です。今後は、人口減少という縮小社会を想定し、分散型・漸減型の限界費用ゼロ社会インフラをどう提供していくかが鍵になるでしょう。Well Beingを議論するにあたっての前提条件になります。

方針2:“生きがい”を感じられる働きを終生続けられる環境を創る

65歳未満が65歳以上を支えるモデルは既に崩壊しています。健康人は全員働くことをデフォルトにする社会が来ます。働くことは、お金を稼ぐことですが、“生きがい”を感じることでもあります。稼ぐという概念も変わります。嫌なことをやるからお金を貰えるのではなく、“生きがい”を感じ、感謝の代わりにお布施を貰う、という世界が生まれます。

また、プラットフォーマーはデータ蓄積とともに幾何級数的に利益を増幅していきます。が、ユーザー=デジタル労働者という考え方を取り入れると、その様相が変わります。Facebookは、1時間当たりのAttention料金は、約3ドルだそうです。データをプラットフォーマーに渡す代わりに、データ労働者に3ドルのうち1ドルをバックする仕掛けを提供することも考えられます。そうなると、例えば私の息子たちは、私よりも多くのお金を稼ぐことに突然なるのかもしれません。

方針3:ベーシックインカムの補完機能として、税体系・社会保障制度を再編する

社会保障の給付=保険料積立+税金収入+国債調達 という方程式です。出来るだけ国債依存度を落としつつ、Well beingを上げていくにはどうしたらよいかを考えていきます。国家、地域、有志などのコミュニティも多層的に分かれることも視野に考えてみたい。

2019年度は激動の年になると思います。これからも、時に応じ、テーマを変えつつ、未来社会を考えるにあたり大事な点を模索していきたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

Future Society 22 代表幹事 

柴沼俊一

Future Society 22 / 2018年コンテンツ一覧

★★Future Society 22のブログ投稿、対談コラムの全バックナンバーはこちら★★

※このブログは「Future Society 22」によって運営されています。「Future Society 22」は、デジタル化の先にある「来るべき未来社会」を考えるイニシアチブです。詳細は以下をご確認ください。

Future Society 22 ウェブサイト→http://www.future-society22.org